放射線の安全値については、国で定めた値がある()。
放射線関係の仕事に従事する者は別途定められているが、一般人の年間放射線限度は1ミリシーベルトを超えない事とされている(医療等を除く内部&外部被曝の合計)。

米国でもEPAは100mrem/yを限度としているので、これは1ミリシーベルトになるから日米同じである。
いずれもICRPの勧告を基として決められているようであり、同じ値になっているのだろう。

今回の福島原発事故にあたり、ICRPは緊急暫定値として1~20ミリシーベルトも居住可という声明()を出しているが、1ミリシーベルトという基準値に回復することを前提とした話であるから、一般人の放射線安全値が1ミリシーベルト/年以下という基準に変更は無い。

政治家や、果ては学者や研究者などでも、「直ちに健康への影響は無い」「現在の福島の放射線レベルは健康に全く問題は無い」、「却って元気になる」等の解説や主張をする人もいるようだが、研究や学説については種々あるのだろうが、社会一般に自説を主張する以前に、学会やICRPで自説への支持を得ることがまず先だろう。
そして、なぜ、自説がICRPなどで採用されないのかも考えるみることも必要だろう。

安全値というのは絶対に影響が出ないという、マージンを十分に取った値だろうから、謂わば「賞味期限」みたいなものか。
賞味期限を数日過ぎたコンビニ弁当を喰ったところで、”俺は絶対大丈夫”という自信があるが、バクテリアは確実に増殖しているから、病弱者・幼少者など耐性の弱い者はリスクが大きい。

それにしても、文科省も福島に関しては、今や学校でも20ミリシーベルトを基準としてるようで、1ミリシーベルトの限度基準など吹っ飛んでしまった観がある()。

現実問題として、1ミリシーベルトの限度基準としたのでは、福島の浜通り、中通り地方は人の住めない地域になってしまうだろうから()、もはや規則を現実の都合に合わせてしまう以外ないのだろうか。

原子力はエネルギーとして理想的なものであり、発生する大規模災害に耐抗出来る原子力施設構造を作る技術も持ち合わせていると思うが、事故が発生してしまった場合の影響の巨大さと、その対処が如何に難しいものであるかを思い知る。

今回の「フクシマ」の場合、原子炉自体は地震・津波に耐えており、バックアップ・システムも同様に耐え得る構造とすることは技術的に可能であったろうが、起こり得る災害の想定のほうを、国や電力会社の都合に合せて決めていた。

貞観の津波だとか、正式の記録も無いような何も定かでない千年も昔のことを言われても困る。
国の規制はリーズナブルなものでなければならないし、どこかで割り切らなければならない。
東京電力としても、国が定めた規則は全て遵守していたのであり、法や規則に違反していない以上、何も過失は無かった。
”福島の原発被災者には気の毒なことであるが、想定外のことが起きたのであり、誰にも過失は無かった”ことになるだろうか。
社会に有形無形のサービスを提供するに当っては、先ず安全なものでなければならない、という大前提の責任を棚上げすればの話だが。

「誰にも瑕疵の無い、想定外の自然災害によるもの」、と公式にはなるのだろうが、この事故は人為的な過失だろう。


◇◇◇日経社説 2011・4・25

原発の事故調査委をつくれ

◇◇◇