それにしても脆いモノである。

東電の清水社長は「想定外の事態」だったと言うが、記録的な大雪、台風、水害、毎年のように記録を更新する暑さ・・・人間の浅知恵を超えた自然界の”想定外”など、日常茶飯のこと。

原子炉自体は津波にも耐えたが、予備電源などの付帯バックアップ設備が呆気なくダウンしている。
予備というものの考え方だが、本体機能が破壊されてしまえば予備の存続も意味は無くなるが、本体つまり原子炉が健全な限り予備電源等も機能するようでなければ、「バックアップ」の意味はあるまい。

福島は震度6だったそうだが、原子炉施設は地震だけでもかなりな被害は出ていたようである。続く津波に止めを刺されたようだが、この程度の地震や津波に耐え得る構造とする建築等の技術を日本は持っている。

原子炉という施設の重要性を考えれば、あまりに脆弱だったわけだが、起こり得る”想定”のハードルを甘くした、所謂「安普請」であったということになる。

日本の原子力政策というのは、先ず学識者よりなる政府の諮問機関である原子力安全委員会というのが、「国による安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導」()し、次に原子力安全・保安院というのが、原子力設備などの具体的な監督や検査を通して実際の安全確保業務を行う()となっているようだ。
原子力発電所を建設し運転する立場の東京電力としては、国が想定した事態に対応した法規規則を遵守しているのであれば、少なくとも”法律上責任は無い”となるだろうか。

原子力安全委員会というのも、国の政策としての原子力推進を理解した立場での、”原子力をやり易い”方向の勧告となるのだろうし、保安院は決められた規則規定を守らせる監督官庁なだけである。

取り立てて誰の責任と言う事でなく、強いて言えば”国民みんなの責任”とでもされそうだが、現在の日本のシステムでは原子力施設の安全は確保されないことが今回解った。

原子力は環境にクリーンで、発電は安価であるが、万一の場合は被害影響が甚大であり、とくに放射線の人体への影響は長期に亘り、時に悲惨である。 国内に止まらず国際的にも影響を及ぼし、下手をすれば国が潰れかねない。

世界で唯一の被爆国である日本は国民の間に原子力に関しての特別な感情と関心があり、日本の持つ世界一の技術で安全への十分な配慮がされた世界一安全な原子力施設であると云われ、原子炉の爆発などと言う事は、理論上では有り得ても、実際には起こり得ないものとされ、そう信じて、原子力発電所は”不沈艦”だと思って来たのだが、何のことはない、”泥舟”であった。

3号機の爆発。一寸した小型核弾頭並の爆発力である。純粋な水素爆発だったのだろうか?という疑問が湧くところ。
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「原発を今後どうすべえ?」という議論が今後されることになるだうが、今迄は、原発の爆発の危険性を口に出せば「原子炉は爆発しねえの。バカぢゃねえの、おまい」と一蹴されていたものが、東電のお陰で、爆発被害の危険性も認識した上での議論が出来るようになった。

狭隘な島国に人々が密集して暮らしていることを考えれば、日本は原発に頼ることは事故時のリスクが余りに大きいと思われるが、一定量の電気は確保する必要があり、直ぐに代替が無いとなれば原発の運転維持も現実には必要だろうか。
日本の原子力関係者の世界は”原子力村”と呼ばれるそうで、狭い社会のようであり、利害得失は複雑に絡み合っているのだろう。 現在のシステムは本来の機能を果たしていないように見える。
原子力安全委員会に、利害得失のシガラミの無い国外の学識者や機関を入れるようなことも一つの改善策になるだろうか。