4月初めに宮城県の家へ帰ったとき、居間に大き目のダンボール箱が二つ並んでいた。
聞けば、四国の戦友と遺族の方が、東北の被災を聞き及び”緊急支援物資”を夫々送って下さったのだという。

見るとカップ麺などに混じって、レトルトのお粥パックが入っていた。
戦友会は暫く前に解散したのだというが、卆寿を超えた南海支隊の生き残りの方が、卆寿を超えた被災した戦友への心尽しの支援であった。

先の大戦では南方の島嶼等に広く戦線を展開した日本軍は、連合軍の攻勢の前に補給路を絶たれ、弾薬や器材・医薬品はおろか、糧食が途絶した状態で戦闘を余儀なくされ、多くの将兵が無念の最期を遂げている。
南海支隊というのも、東部ニューギニアに於いて、支隊長堀井富太郎少将をはじめ、多くの将兵が戦没し部隊はほぼ壊滅している。

パプア・ニューギニアに征戦した兵というのは、食べ物を捨てられない人間である。

我が家の帝國陸軍も、少しばかり残ったものでも必ず冷蔵庫にしまう。 流しに落ちた一粒の飯粒も残さず拾っている。
尤も、最近は庭の雀に与えているようだが。

前線で飢餓を共にし、熾烈な戦争を戦い抜き、生き残った戦友同士の結び付きというのは、他の社会では一寸見られない強いものがあるようである。
全身爆裂。腹部貫通銃創。衰弱死。「小隊長、お世話になりました」の言葉を最期に、何の運命によるものか生死を分ち、還ることの無かった若き戦友への思いというのも又特別なものがあるようだ。

あの戦争を生き残った者は皆、胸に古傷を抱いて生きてきている。

父の戦友の一人に柴田政利氏がおられた。
予科士官学校で同期となり、兵科も同じ船舶工兵。原隊である工兵一連隊へも北満孫呉まで二人で赴任し、開戦時には南海支隊に配属されていたのも同じで、共に並んで小隊長を任じていた。
柴田さんは”飛び級”で進学されて来られたようで、開戦時は19歳のようだから、当時最も若い小隊長だったろうか。
家(ウチ)の家系とは違い、頭がシャープな人だったようで、戦後復員して明治大学に学び、其の侭残られて大学教授になられている。(

昭和18年夏、補充舟艇受領の為ラバウルに戻ったところで我が家の帝國陸軍はマラリヤが発症して倒れ、後送されて前線を離れたが、柴田さんは其の侭東部ニューギニアに残留して終戦を迎えられたのだという。
どれ程の地獄を見、辛酸を嘗めたことだろうか。

或る時、機上で明治大学の4年生と席を隣合せたことがあった。
なんでもカリブ海方面を一人旅して来、日本へ帰るところだという。
機上ではアルコールがタダなのが有難い。
年齢は違ったが、アルコールの点については意気投合し二人でピッチを上げていたが、試しに柴田教授について聞いてみると、「知っている」という。
慌てて名刺の裏に汚い字を認め、忘れなければ先生に渡してくれ、と押しつけた。

暫くして、父が慰霊祭ででも会った時だろうか、”ウチの学生と隣合せたそうだが、世の中狭いな”と柴田さんがおっしゃっていたと聞き、忘れずに渡してくれたことを知り、有難く嬉しかったことなどを想い出す。

戦地に残された御遺骨の収集帰還事業は、厚生省が行ってきている。

未帰還戦没者の数は多く、激戦地となったところはいずれも南方島嶼のジャングルのようなところであり、遺骨収集の困難度は年毎に増して来ている。

フィリピンでの遺骨収集について、現地の状況に詳しいのだというNPO法人に”丸投げ”していたところ、収集遺骨数が一気に増えたのはよいが、フィリピン人の遺骨が混じっていたのだという。

「空援隊」というNPO法人だそうだが、フィリピンの現地で日本軍の遺骨を持って来た者には労賃(日当)として250ペソ。一体については500ペソ迄として現金を支払っていたという。

フィリピンは未だ貧しい国である。 どこの国でもそうだが、良い人間もいれば、悪い事をする人間もいる。
年間6~7千体分の”英霊の御遺骨”が集まったようだが、現地の人間にすれば”日当”は相当な金額であり、それは色々な”御遺骨”が集まることだろう。

女性や子供、動物、一見して年代の新しい骨なども混じっていたというが、マニラで空援隊の現地職員が所持していたというミンドロ島で収容したのだという遺骨について、サンプル110検体をミトコンドリアDNA塩基配列ハプロタイプ解析鑑定をしたところ、日本人の可能性が高いもの5個体、フィリッピン人の可能性が高いもの54個体であったという。(フィリピンでの遺骨帰還事業に関する検証報告書

政治家が顧問として名を連ねるこのNPO法人には、厚労省から2010年度には4、713万円の委託費が支払われており、戦友や遺族の方からが多いと思われる寄附金もよく集まっているようである。

2008年度には1230柱だったという収集数が、09年度と10年度では計1万4千柱に急増したのは流石に目立ったろうか、近年マスコミからは「ボーンビジネス」(”遺骨商法”か)だとの指摘をされていたようだが、英霊の御遺骨収集ならぬ、数集めの人骨収集となって仕舞っていたようである。

空援隊が比較として出す米国の遺骨収集の取り組みだが、DNAはじめ遺留品などを個々に丹念に検証してゆく作業であり、決して空援隊のような方法は採っていない。

御遺骨収集事業は、一体一体について丹念に確認してゆく作業であり、収集の数や早さではない。

日本軍将兵の遺骨なのか?フィリピン人なのか?、確認が出来ないような場合には、持ち出してこれるものではない。
フィリピンをはじめ、アジアや太平洋の他国の地を戦場としたことも、忘れてはならないことだろう。
間違っても日本人の御遺骨がフィリピン人より優先するなどという考えがあってはなるまい。

空援隊平成22年度収支計算書
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空援隊平成21年度収支計算書
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出典:「全国特定非営利活動法人情報の検索


@遺骨混入疑惑報道によるものだろうか、会員や寄附金は激減している。
@厚生労働省からの委託費は、逆に大きく増えているのが興味深い。
@かなりな金額の借入金と、ほぼ同じ額の返済金が毎年出ているのが目に付く。資産は無いNPO法人であり、何ゆえ又どのようにして借り入れているものだろうか。
@事業費と称するものは、括りが大きすぎて内容がわからない。 全面委託した厚労省は内容をしっかり見ていたのだろうか? 平気で遺骨を混入させるような事をしていれば、比国政府も日本の遺骨収集協力には慎重にならざるを得ないだろうし、今後比国での遺骨収集が難しくなる可能性すらあるわけだが。
@遺骨収集ボランティアの方の渡航旅費だろうか、個人負担旅費が旅費経費の戻入でなく収入として計上されているようだ。
@交際費及び会議費の、所謂飲み物食い物代は毎年70万円以上の出費だが、NPOの主旨からして違和感を覚える数字であろう。一体どんな会議をしていたのだろうか。

「空援隊」というNPOは、元衆議院議員という小西理氏と倉田宇山氏という方が主催者のようだが、両名が設立している「日本映像通信株式会社」という一般法人は、見ると東京本社と京都支社の住所・FAX番号が空援隊と同一である。
空援隊ホームページにNPO法人として平成18年発足とあるから、NPO法人に一般営利法人が間借入居して来たことになるだろうか。
NPOの主旨に賛同して、一般法人がNPOに場所の提供等便宜を図るというのは聞くが、その逆というのは珍しいだろうか。 混じると言う事にあまり抵抗の無い人たちだろうか。
空援隊
日本映像通信株式会社

小西氏は、「空援隊では日本人として日本兵と現地の軍属や民間人を区別することをしていません。結果、そのような人々のいる可能性の有る地域では女性、子供などの遺骨でも残さずに回収するようにしています。」「皆さんは如何に考えられますか?」と書いているが、東大卒元総務大臣政務官という立派な肩書きのようだが、こんなことも解らないのだろうか。(真実はどこにー小西理

ジャーナリストだという倉田宇山氏というのは、「神声天眼学会」というのを催行されておられるようだ。
言霊学の更生及び神声の開示を志しているという。(神声天眼学会

神の声はよく聞こえても、英霊の声は聞こえなかったものだろうか。