石原都知事が購入を表明していた、尖閣の島は急転直下、国が20億5千万で購入することになったという。

栗原氏が所有する3っの島の資産評価額は5億円程度ともいうが、”時勢”による価格になったというところだろうか。
購入費は国の予備費から支出するそうだが、今までも「国が購入したら」との議論はあったわけで、今回の民主党政府の”決断と実行”は電光石火の早業と言うべきか。

政府には「危機感」があったのであろう。

尤も、国の領土という、国家の最もベーシックなものが侵蝕されることへの危機感ではなく、今まで日中友好でおいしく頂いていた外務官僚や財界、民主党政治家などが、石原に任せておいたのでは中国様の御機嫌を逆撫でし、日中関係は大変なことになってしまう、私達の立場はどうなる!といった危機感だが。

石原の構想は尖閣に漁船の避難港や灯台などを整備し、日本の主権の存在を明確に示すとのようだが、東京都の尖閣購入資金の寄付口座には、10万件越、14億7千万以上が集まっており、賛同しても寄付の出来ない人等をも考えると、「石原やってくれ!」という、無視出来ない数の国民の賛同支援の声があることになる。(東京都HP

あまり報道はされないようだが、尖閣諸島を行政区域とする石垣市も尖閣維持管理費用の寄付を募っており、今日現在396件、567万余が集まっているようだ。
知名度の高い”石原東京”のそれと金額は比ぶべくもないが、尖閣諸島への行政の当事者である地方自治体だけに、寄付の貴さと意義という点では、東京都に優ることはあっても劣ることはないであろう。(石垣市HP

しかし政府は石垣市に対しても、その行政区域である尖閣への上陸を認めていないというのは、一体どう理解したらよいものだろうか。

尖閣諸島の動植物生態の学術的調査も1971年が最後のような有様だが、自然のままの離島であり、その生態については生物学者なら興味が尽きないことだろうし、本来政府は適時学術調査の便を図るべきであろう。
政府自らが憲法を反故にしてしまうような行為があってはなるまい。(日本国憲法第23条 学問の自由は、これを保障する。)

国がやらないから東京都が尖閣を購入するとのことだが、東京都が沖縄県にある尖閣諸島を購入するというのは矢張り変則な話であり、国がこれを購入するというのは本来あるべき姿だろうし、喜ぶべきところなのだが、民主党政権は購入後は日本国民にも上陸を認めず、これを”手を触れない隔離地帯”としてしまうのであろう。

中国を刺激することは避け、日本が尖閣に何もしなければ、中国も行動を控えるからというのは、問題の解決ではなく、単なる先送りの姑息な手法でしかない。

中華人民共和国というのが崩壊分裂でもするなら別として、経済発展と急速な軍備拡張を進める中国が尖閣を諦めるという要素は無いので、今後は増々尖閣領土問題での日本への圧力や工作は高まってくるのであろう。

尖閣領土問題は、中国を刺激しなければ何とかその場を繕えた時代は終った、と見るべきであろう。

現在米国が、「センカクは安保条約の対象」と度々明言している以上、中国が尖閣に軍事力を若し行使する場合は米国との直接武力衝突を覚悟する必要があることになるから、現状ではそれは到底為し得る選択ではない。

国際領土問題に対する米国政府の基本的な姿勢は「どちらか一方の立場はとらない」というものと言うから、日本がこの先尖閣への主権の行使を憚るようになり、どこの国の主権下にあるのか判然とはしない帰属の係争地帯となれば、尖閣問題への米国の姿勢も変る可能性があるだろうし、将来の日米関係、米中関係によっても米国の姿勢は変る可能性はあるだろう。

急速な軍備拡張・近代化を進める中国の軍事力と、日米のそれとの格差は年毎に縮まりつつもある。

尖閣に日本の主権が存在することを明徴にして、断固国の領土を護る意思を示すか、あるいは中国の主張を受け入れて、国境線を後退させるかの選択を迫られていることになる。

この先、時間が経つにつれ尖閣問題は困難さが増すとすれば、今の時点で、尖閣諸島の生態系をはじめとする現地調査を為したり、港湾や灯台等の施設を整備して所要の人員なども配置し、主権の存在を明確に示すことが望ましいということになる。
今この問題に火を付けた石原尖閣構想は、なかなかの慧眼だったことになるだろうか。

日本が尖閣への主権を明徴にするようなことをすれば、中国の反発は必至で日中関係は確かに一気に緊張するだろうが、経済交流はじめ日中関係が互恵のものである以上、それは一過性のものとなるであろう。

日本政府が尖閣での主権の存在を明徴にすることを憚るような選択に進んでゆけば、将来尖閣への中国の武力使用を誘引してしまう事態が生じようか。

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尖閣諸島。なかなか美しいところである。産経新聞より。