加藤隆士さんの好きな言葉だったという。

「あすも飛ぶ」というのは、アンリミテッドである無限の空への飽くなき挑戦への決意であり、雲の上に出ればオン・トップは常にクリアーな空への明るい希望でもあり、時には悲しみを乗り越えて前進する力であり・・・この言葉には航空への情熱と思いの全てが包まれているように思う。

この言葉は、彼の恩師であり日本航空界の重鎮であられた木村(秀政)先生()が、卒業生などへ贈る言葉とされていたようである。

「あすも飛びなさい」という尊敬する恩師の教えどおりに加藤さんは生き、そして永遠の空に飛んでゆかれた。
少し早かったけれども、素晴らしい人生である。

加藤さんらが乗っていた機は「ホフマン式H-36ディモナ() JA2405」と運輸省サイト()に出てたので、最期の機体は「チロル号」である。

1987年11月19日にオーストリーの首都ウィーンを飛び立ち、宮沢誠さんと二人で南回りに38日間かけて鳳程2万Kmを見事翔破し、日本に持ってきたその機体である。
名グライダー乗りの最期は、最も思い出の深い機とともにであった。

報道記事や写真などからすると、機体後部が現場には見当たらないというから、気流変化の激しい山岳地上空を飛行中に何らかの原因により胴体後部が折損したことが考えられようか。
写真からは両主翼ともに折れている様子が覗えるので、墜落時はかなりな衝撃であったことが推察されようか。
いかな名パイロットといえども、尾翼を失った機体を操ることは不可能であったろうか。

加藤さん奥様は、「好きで選んだ仕事なので悔いはないでしょう・・・しかし同乗のカメラマンの方に申し訳がない。」と気丈におしゃられていたとお聞きしたが、この夫にしてこの妻あり。立派な方である。
或は、この女性にしてこの夫ありだったかも知れぬだろうか。

澄み切った北海道の空の下、グライダー格納庫の横には恩師木村先生直筆の「あすも飛ぶ」の石碑が置いてあるという。