西暦2017年は元号平成29年、干支は酉という。

天皇陛下譲位という話があり平成も30年をもって終了のようであるから、平成な時代も先は長くないようである。

しかし元号がころころ変わるとなると、昭和おやぢとしてはもう何が何やら。

2017年も始まったわけだが「精鋭無比」として知られる習志野の第一空挺団の「降下訓練始め」が先日行われたという。
今年は米軍のグレーンベレーと空自航空救難が協同したという。



例年の如く初降下は空挺団長の陸将補が真っ先に飛び降りている。

「空挺」というのは「空中挺進」の略だそうだが、敵の背後などに経空侵入して降下し、重要拠点を確保して戦闘の局面を一気に転回する任務を行ったりするわけで、並の兵隊では勤まらず、体力・気力・戦闘術力共に群を抜いていることが要求される。

世界の戦史においても空挺作戦は極めて困難な状況下で多大な犠牲を払っても断行されることが多く、「状況が困難であればあるほど寧ろ闘志を感じる」という、「たとえ一人になっても任務完遂」の気概が空挺には要求される。

部隊規模の空挺作戦で最新のものは、2003年のイラク戦争での米陸軍第173空挺旅団によるイラク北部の飛行場への夜間空挺降下であろう。
旅団規模のそれも夜間969名の空挺降下というのも凄い。
南からの米英軍の機甲電撃侵攻に対応していたイラク軍は、背後の北部に旅団規模の敵が一夜にして突如出現し飛行場など要地を占領してC-17が続々と重装備の続行部隊や軍需品を送り込んで来るのであるから堪らない。
バクダット防衛に転用を目論んで該地域に配備していたイラク軍の6個師団は動きが取れず釘付けとなっている。
第173空挺旅団戦闘団はイラク軍4個師団を各個撃破している。

去る2003年のイラク戦争ではこの辺り(Snohomish county WA)からは、戦死者一名を出している。
Spc. Justin Hebertはこの作戦で空挺降下した一員であったが、その後8月1日パトロール中にRPGの直撃を受け、弱冠二十歳の命を散らせている。



日本では日本陸軍が昭和20年5月、沖縄戦の攻防が愈々急を告げる頃、米軍が占領した北(読谷飛行場・現在は廃止)および中(嘉手納)飛行場への「義烈空挺隊」による突入作戦であろう。

戦況はもう落下傘降下する余裕を与えないので、奥山大尉以下の空挺中隊は夜間乗機もろとも胴体着陸して敵飛行場に突入している。

米軍言うところの「ギレツ・コマンドー」は、読谷飛行場の在場数十機航空燃料7万ガロンを炎上せしめたというが、24日夜首里山の牛島軍司令官はじめ沖縄第32軍将兵は遥か北・中飛行場方向に火の手が上がるのを確認し、我が空挺部隊の生命の限りの獅子奮迅の戦いの様を思い、死闘しているのは我々だけでないと感動を久しくしたという。

4月の沖縄戦開始以来天候の許す限り連日特攻機を沖縄沖の敵艦船に突入させていたが、敵戦闘機の迎撃に遭い思うような特攻戦果が上がらないので、義烈空挺隊が飛行場に突入して敵航空戦力を削ぎ特攻戦果を拡大しようとの作戦であった。

義烈空挺隊の一名は、攻撃後米軍占領地帯・前線を突破して南部の日本軍に合流している。