もうだいぶ前のことになるが、こちらへ来て間もない頃、ショッピングモールの広場にT田さんと座ってアメリカの大型商業施設の賑わいを眺めていたことがあった。

 なにせ通りゆく人は皆外国人ばかりで物珍しい。考えてみるとこちらが外国人なわけだが。

 当たり前だが、男も通るし女も通る。子供も年寄りも通る。そして時々車椅子の人が通る。

 「アメリカは障がい者が多い。」と、T田さんが同意を促すように話しかけた。

 統計を調べたわけではないが、アメリカ社会は特に障がい者が多いという話は聞いたことが無いし、そうなる理由も考えられないことであった。アメリカは戦争をしてるので、戦傷者が出ていることはあるだろうが、そのような人たちにも見えなかった。

 アメリカではモールやレストランのような商業施設はもちろん、会社の建物などでも障がい者用の駐車場所や車椅子でも利用できるトイレなどを設けることが法律で定められているので、車椅子の人も気兼ねなく出かけてゆくことが出来る。

 日本でもアメリカでも、どんな国でも社会でも障がいのある人というのは一定比率居るものであろう。

 日本では街中で車椅子の人を見かけることは殆ど無いわけだが、日本は障がい者が少ないのではなく、障がいのある人が出かけるのが難しい環境なのであろう。

 狭いし、階段も多いし、電車なども混んだりするから車椅子でウロウロされたのでは、迷惑かけるし、皆忙しいから(他所行ってくれよ。邪魔なんだよ!)と、口には出さないまでもそんな目になってしまうだろうか。

 むかし、土曜の夜に「男たちの旅路」というNHKドラマシリーズがあり、「車輪の一歩」という回が、この問題をよく描けていた。

 日本に一時帰国した時は国内移動にJRパスという周遊パスみたいなのを利用しているのだが、自動改札は使えないのでJR職員のいる事務所のほうを通ることになる。

 名取駅で通ろうとした時、車椅子の子と母親らしい二人がいたので、「押しましょうか?」と声を掛けたら、「あ大丈夫です。連絡してありますから。」と。

 何のことか意味が解らず、ほんとに大丈夫かと離れて見ていたのだが、駅員が車椅子を押し、乗車・下車の時にはホームとの間に板を敷いて乗り降りさせたので感心した。

 通勤時間帯などではなかなか難しいのかも知れないが、昔に比べて随分と良くなったものである。

 元気な人も歳を取れば皆障がい者になってゆく。日本には日本の社会環境があるし、いろいろなやり方があるだろうし、知恵を出し合って、心にゆとりのある「本当の意味での豊かな社会」にしてゆかねばならないであろう。

 一歩、一歩づつである。


 昨日は家の前を車椅子が通った。

Elly

 「コンニチワ」と愛犬の車椅子を押す御主人に日本語で話しかけられた。

 某社のエンジニアだそうで、私が以前勤めていた会社によく来ていたと言い、私を覚えているという。そう言えば会ったことのあるような。

 愛犬のEllyちゃんは後ろ足が悪く家の中ではよいのだが、お散歩に出るときは車椅子。

 優しいMikeパパに押されて、夕陽をながめ、風のにおいを嗅いで、Ellyちゃんは生きる幸せそのもの。うれしそうである。