病院に入れておくことも考えたが、週末は家族みんなと一緒に過ごすようにとした。

 食べることが趣味みたいなAslanも、もう好きな食事にも手がつかずであったが、幸い痛みなどはないようで、家族皆に囲まれて幸せな時間を過ごしていた。

 月曜(19日)朝に近くの動物医院に行き、最期の処置をしてもらい、やがてエンジェルたちに手足を持たれて、Aslanは主イエス様の膝の上へと昇ってゆかれた。

 少々肥満体のネコだったので、エンジェルたちもさぞ重かったことだろうか。


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 在りし日のAslan。 20年近くになるだろうか。 飼い主に似ず頭の良い素直な性格のネコであった。

 獣医が言うにはナントカ癌だそうだが、生き物は猫も人間もみな限りある命を精一杯生きている。

 「命には限りがある」というのは悲しいことだが、もし死なない人生があったとしたら、これも退屈な。

 「想い起こせば恥ずかしきことの数々」というのも確かに人生の一面であるから、終わりが無くだらだら永遠に続くというのでは却って苦痛かも。

 他人事でもないのだが、昔の人たちも皆中高年になって来それぞれに病気を抱えていたりするから、新年が来ても「目出度い」とばかりは言えないようになってきている。

 誰々が病に伏したと聞けば、近くのHallmarkでお見舞いのカードくらいは買うのだが、どうもありきたりの言葉を書く気にもなれず、暫く机の上に置いといた挙句、出さずじまいで終ってしまう。

 なかにはK藤努のように、「年功序列」を守らず俺より先に急いでいってしまうのまでいる。 「暇になったら武蔵境辺りで一杯やろう。MT子の話でも肴に・・・」と書いたカードが空しく埃を被っている。