Robが写真を撮って送ってきてくれた。
大英帝国の名機「スピットファイア」と、ナチス独逸の「メッサシュミット109」であるから、「Battle of Britain」というところか。
「・・・the Battle of France is over, the Battle of Britain is about to begin」
英仏がダンケルク(Dunkirk)で敗走した後の、1940年7月より始まったと云う「Battle of Britain」では、英国は戦闘機総数640機で、独逸空軍戦爆2,600機の侵攻を迎え撃つこととなった。
果敢に迎激戦を展開し、独逸空軍に英国上空の制空権を与えず、当時欧州で破竹の勢いであったナチス独逸の英国本土侵攻を阻止、1940年10月には遂に英国上空から独逸軍機は姿を消すに至った防空戦闘である。(RAF Battle of Britain History site)
「Never was so much owed by so many to so few」
1940年8月、戦闘飛行隊を訪問した折の、ウインストン・チャーチルの言葉だという。
こちらはB-25だが、欧州より太平洋戦線で活躍したろうか。 空母から発艦した「ド-リットル東京空襲」が有名だが、南方では緒戦から活躍しており、我が家の帝國陸軍もラバウル占領直後に、B-25の超低空高速侵入爆撃をよく受けたと言う。 川戸(正治郎)さんがラバウルに進出したのは18年10月だが、やはりB-25とやりあっており、最初の体当たり(避け切れずに空中接触-と言うか、正面から敵と射ち合ったら、自分から避けるということを知らない人であった。)はB-25だったという。
B-17G ”Sentimental Journey”
夏の間、全米各地を回り、体験飛行や機体展示を行っている。 動く歴史教材というところだろうか。(注)
「Sentimental Journey」は、ドリス・デイ(Doris Day)の歌で1945年頃に流行った歌だそうだが、長かった戦争が終わって本土に帰還するGI達を丁度迎える歌になったのだという。
”Sentimental Journey”
Gonna take a Sentimental Journey,
Gonna set my heart at ease.
Gonna make a Sentimental Journey,
to renew old memories.
Got my bags, got my reservations,
Spent each dime I could afford.
Like a child in wild anticipation,
I Long to hear that, "All aboard!"
Seven...that's the time we leave at seven.
I'll be waitin' up at heaven,
Countin' every mile of railroad
track, that takes me back.
Never thought my heart could be so yearny.
Why did I decide to roam?
Gotta take that Sentimental Journey,
Sentimental Journey home.
Sentimental Journey.
(Youtube-By Vikki Carr 1961)
日本では、昭和21年、田端義夫という歌手が唄った「かえり船」という歌がこれに匹敵しようか。
こちらは、戦争に負けて、かろうじて命存えた者が、身一つで母国に引き揚げて来るのである。
川戸さんはフィリッピンの捕虜収容所から故郷に帰還して、”昭和20年3月9日ニューブリテン島沖に於戦死”した自分の遺骨箱と対面したそうだが、こうゆうのは良いとして、近代戦には前線も銃後もないから、故郷の街も見渡す限りの焼け野原と化し、空襲で家族を亡くした者や、長い抑留中に女房が再婚してしまっていた等の悲劇もあったと云う。
「国敗れて山河あり」と言うが、「国敗れて山河のみ」と言った有様だったろうか。
かえり船
波の背の背に 揺られて揺れて
月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖じゃ
夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって
今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ
霧の波止場の 鋼羅(ドラ)の音
熱いなみだも 故国に着けば
うれし涙と 変るだろう
鴎ゆくなら 男のこころ
せめてあの娘に つたえてよ
(Youtube)
大英帝国の名機「スピットファイア」と、ナチス独逸の「メッサシュミット109」であるから、「Battle of Britain」というところか。
「・・・the Battle of France is over, the Battle of Britain is about to begin」
英仏がダンケルク(Dunkirk)で敗走した後の、1940年7月より始まったと云う「Battle of Britain」では、英国は戦闘機総数640機で、独逸空軍戦爆2,600機の侵攻を迎え撃つこととなった。
果敢に迎激戦を展開し、独逸空軍に英国上空の制空権を与えず、当時欧州で破竹の勢いであったナチス独逸の英国本土侵攻を阻止、1940年10月には遂に英国上空から独逸軍機は姿を消すに至った防空戦闘である。(RAF Battle of Britain History site)
「Never was so much owed by so many to so few」
1940年8月、戦闘飛行隊を訪問した折の、ウインストン・チャーチルの言葉だという。
こちらはB-25だが、欧州より太平洋戦線で活躍したろうか。 空母から発艦した「ド-リットル東京空襲」が有名だが、南方では緒戦から活躍しており、我が家の帝國陸軍もラバウル占領直後に、B-25の超低空高速侵入爆撃をよく受けたと言う。 川戸(正治郎)さんがラバウルに進出したのは18年10月だが、やはりB-25とやりあっており、最初の体当たり(避け切れずに空中接触-と言うか、正面から敵と射ち合ったら、自分から避けるということを知らない人であった。)はB-25だったという。
B-17G ”Sentimental Journey”
夏の間、全米各地を回り、体験飛行や機体展示を行っている。 動く歴史教材というところだろうか。(注)
「Sentimental Journey」は、ドリス・デイ(Doris Day)の歌で1945年頃に流行った歌だそうだが、長かった戦争が終わって本土に帰還するGI達を丁度迎える歌になったのだという。
”Sentimental Journey”
Gonna take a Sentimental Journey,
Gonna set my heart at ease.
Gonna make a Sentimental Journey,
to renew old memories.
Got my bags, got my reservations,
Spent each dime I could afford.
Like a child in wild anticipation,
I Long to hear that, "All aboard!"
Seven...that's the time we leave at seven.
I'll be waitin' up at heaven,
Countin' every mile of railroad
track, that takes me back.
Never thought my heart could be so yearny.
Why did I decide to roam?
Gotta take that Sentimental Journey,
Sentimental Journey home.
Sentimental Journey.
(Youtube-By Vikki Carr 1961)
日本では、昭和21年、田端義夫という歌手が唄った「かえり船」という歌がこれに匹敵しようか。
こちらは、戦争に負けて、かろうじて命存えた者が、身一つで母国に引き揚げて来るのである。
川戸さんはフィリッピンの捕虜収容所から故郷に帰還して、”昭和20年3月9日ニューブリテン島沖に於戦死”した自分の遺骨箱と対面したそうだが、こうゆうのは良いとして、近代戦には前線も銃後もないから、故郷の街も見渡す限りの焼け野原と化し、空襲で家族を亡くした者や、長い抑留中に女房が再婚してしまっていた等の悲劇もあったと云う。
「国敗れて山河あり」と言うが、「国敗れて山河のみ」と言った有様だったろうか。
かえり船
波の背の背に 揺られて揺れて
月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖じゃ
夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって
今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ
霧の波止場の 鋼羅(ドラ)の音
熱いなみだも 故国に着けば
うれし涙と 変るだろう
鴎ゆくなら 男のこころ
せめてあの娘に つたえてよ
(Youtube)