売りに出されるという。(注)
ひょっとしてと思い調べてみると、やはり”爺さん”数年前に亡くなっていたようだ。
4駆での事故だったそうだが、86歳というから、まあ人生をエンジョイしたほうだろうか。
背の高い娘さん(今では○さんか)が居たが、息子もいたろうが誰も”牛飼い”の跡は継がなかったということだろうか。
牛飼いの牧場主ではあったが、どうゆうわけか飛行機が好きで、自分の飛行場を敷地に作り飛行機それも古典機をレストアして飛ぶのが好きであった。
牛の速さに合わせたわけでもまさかあるまいが、鈍足の複葉機が好きだったようだ。
M.O.F.(Museum of Flight-シアトルの航空博物館)にある「Stearman C-3B」は氏が所有していた機体で、MOF開館時に博物館に譲渡したものである。
氏は「ゼロセン」を所有していたこともあった。
映画「トラ・トラ・トラ」用にT-6(カナダの機体だったとか言うからハーバードか)を改造して作られた”零戦モドキ”である。
エンジン馬力も機体サイズも丁度零戦の2/3だから、”2/3ゼロだ”と本人は言うのだが、まあ”ゲテモノ機”である。
「大空のサムライ」の著書で有名なホンモノの零戦乗りの坂井三郎氏が、Yakimaのエア・ショーに来ていた事があったという。
”2/3ゼロ”を自由に乗ってくれと申し出たそうだが、さすがに坂井氏は乗らなかったという。
その時に書いてもらったのだという、「不撓不屈」という躍るような字の坂井氏のサインがラダーにあった。
ちなみに「不撓不屈」というのは、坂井三郎氏が所属していた台南空笹井中隊のモットーだったのだと聞く。
さすがにあの”ゼロセン”は早々に手放したようで、テキサスの博物館?に売却したとか話していたが、今はどうなっているだろうか。 不撓不屈に、何処かで元気に飛んでいるだろうか。
先の大戦では陸軍に入り、戦後進駐軍として”アオモリ”に居たと言っていたが、”Furmaki”というのは三沢に”古牧温泉”というのがあるので、三沢辺りのキャンプだったのだろう。
職種(兵科)は会計?とかで、航空兵ではなかったようで、なんで飛行機が好きだったのかよくわからない。 まあ、他人のことは言えないか。
牧場主としては3代目だったようで、最初に”Yakama”に入植したのは祖父に当る、Lucullus McWhorterという人のようだ。
この祖父はインディアンの研究記録を残しており、インディアンの良き理解者であったようで、先住民族の人権擁護活動を政府相手に繰り広げたというから、なかなかの人物であったようだ。(注)
自衛隊が日本から実弾射撃演習に来る「ヤキマ演習場」というのがある。
日本の演習場は広くないので、火砲・ミサイルの最大射程での実弾演習が出来ず、広大な米軍Yakima演習場を借りて、年一度日本から90戦車などを持ち込み、機動射撃等日本では出来ない存分な実弾演習を行なっている。
牧場はヤキマ演習場から更に奥地に入った辺りで、木と言うものが無い荒涼とした丘陵が果ても無く続くところである。
この辺り一帯には嘗ては色々な種族のインディアンが点々と居住していたのだと云い、西進入植して来た白人と闘って破れ、講和してその庇護の下に入ったり、あるいは庇護を拒絶し、歴史の中に飄々と何時しか消えていった部族もいたと云う。
荒涼とした丘陵をよく風が渡るところで、時折まるで意思を持っているかのような強い風が吹くところだが、インディアンというのは風の中に自分達の主である神を見ていたものだろうか。
インディアンというのは文字文化を持たなかったと聞くが、祖父の時代の20世紀初頭であれば、まだ”聞き書き”が出来たことだろう。
祖父の資料は希少なインディアン研究として現在はWSU(Washington State University)に所蔵されているという。
ちなみにこの祖父は独学だが、McWhorter家は皆地元のWSUのようで、”爺さん”も1942年卒(当時はState College of Washingtonと称した)であり、戦時中のことで陸軍幹部候補生となったようである。
爺さんの最期の作品も「Stearman C-3B」だったそうで、この1928年製のs/n244の機体はオレゴンの博物館(WAAAM)に譲渡されたという。(注)
売りに出される牧場は14,135エーカーという広大な原野であり、州のほうもこれを取得して自然保護区にしたい意向のようだが、今のところ予算承認されたのは$1.8Mという。
正味13,400エーカーとして予想市価は$3.5M程のようであり、貧乏州には一括購入はなかなか難しいところだろうか。(注)
相続家族にも事情はあるだろうが、あまり切り売りせずに、州が取得する等で「McWhorter Ranch」の名が残るようなことが望ましいのは、言うまでもないであろう。
でわ、おやすみなさいMcWhorterさん。
参考:Yakima Memory
MOFのStearman C-3B 写真Wiki
R.J. McWhorter Photo: Milly Kovacich/Yakima Herald
ひょっとしてと思い調べてみると、やはり”爺さん”数年前に亡くなっていたようだ。
4駆での事故だったそうだが、86歳というから、まあ人生をエンジョイしたほうだろうか。
背の高い娘さん(今では○さんか)が居たが、息子もいたろうが誰も”牛飼い”の跡は継がなかったということだろうか。
牛飼いの牧場主ではあったが、どうゆうわけか飛行機が好きで、自分の飛行場を敷地に作り飛行機それも古典機をレストアして飛ぶのが好きであった。
牛の速さに合わせたわけでもまさかあるまいが、鈍足の複葉機が好きだったようだ。
M.O.F.(Museum of Flight-シアトルの航空博物館)にある「Stearman C-3B」は氏が所有していた機体で、MOF開館時に博物館に譲渡したものである。
氏は「ゼロセン」を所有していたこともあった。
映画「トラ・トラ・トラ」用にT-6(カナダの機体だったとか言うからハーバードか)を改造して作られた”零戦モドキ”である。
エンジン馬力も機体サイズも丁度零戦の2/3だから、”2/3ゼロだ”と本人は言うのだが、まあ”ゲテモノ機”である。
「大空のサムライ」の著書で有名なホンモノの零戦乗りの坂井三郎氏が、Yakimaのエア・ショーに来ていた事があったという。
”2/3ゼロ”を自由に乗ってくれと申し出たそうだが、さすがに坂井氏は乗らなかったという。
その時に書いてもらったのだという、「不撓不屈」という躍るような字の坂井氏のサインがラダーにあった。
ちなみに「不撓不屈」というのは、坂井三郎氏が所属していた台南空笹井中隊のモットーだったのだと聞く。
さすがにあの”ゼロセン”は早々に手放したようで、テキサスの博物館?に売却したとか話していたが、今はどうなっているだろうか。 不撓不屈に、何処かで元気に飛んでいるだろうか。
先の大戦では陸軍に入り、戦後進駐軍として”アオモリ”に居たと言っていたが、”Furmaki”というのは三沢に”古牧温泉”というのがあるので、三沢辺りのキャンプだったのだろう。
職種(兵科)は会計?とかで、航空兵ではなかったようで、なんで飛行機が好きだったのかよくわからない。 まあ、他人のことは言えないか。
牧場主としては3代目だったようで、最初に”Yakama”に入植したのは祖父に当る、Lucullus McWhorterという人のようだ。
この祖父はインディアンの研究記録を残しており、インディアンの良き理解者であったようで、先住民族の人権擁護活動を政府相手に繰り広げたというから、なかなかの人物であったようだ。(注)
自衛隊が日本から実弾射撃演習に来る「ヤキマ演習場」というのがある。
日本の演習場は広くないので、火砲・ミサイルの最大射程での実弾演習が出来ず、広大な米軍Yakima演習場を借りて、年一度日本から90戦車などを持ち込み、機動射撃等日本では出来ない存分な実弾演習を行なっている。
牧場はヤキマ演習場から更に奥地に入った辺りで、木と言うものが無い荒涼とした丘陵が果ても無く続くところである。
この辺り一帯には嘗ては色々な種族のインディアンが点々と居住していたのだと云い、西進入植して来た白人と闘って破れ、講和してその庇護の下に入ったり、あるいは庇護を拒絶し、歴史の中に飄々と何時しか消えていった部族もいたと云う。
荒涼とした丘陵をよく風が渡るところで、時折まるで意思を持っているかのような強い風が吹くところだが、インディアンというのは風の中に自分達の主である神を見ていたものだろうか。
インディアンというのは文字文化を持たなかったと聞くが、祖父の時代の20世紀初頭であれば、まだ”聞き書き”が出来たことだろう。
祖父の資料は希少なインディアン研究として現在はWSU(Washington State University)に所蔵されているという。
ちなみにこの祖父は独学だが、McWhorter家は皆地元のWSUのようで、”爺さん”も1942年卒(当時はState College of Washingtonと称した)であり、戦時中のことで陸軍幹部候補生となったようである。
爺さんの最期の作品も「Stearman C-3B」だったそうで、この1928年製のs/n244の機体はオレゴンの博物館(WAAAM)に譲渡されたという。(注)
売りに出される牧場は14,135エーカーという広大な原野であり、州のほうもこれを取得して自然保護区にしたい意向のようだが、今のところ予算承認されたのは$1.8Mという。
正味13,400エーカーとして予想市価は$3.5M程のようであり、貧乏州には一括購入はなかなか難しいところだろうか。(注)
相続家族にも事情はあるだろうが、あまり切り売りせずに、州が取得する等で「McWhorter Ranch」の名が残るようなことが望ましいのは、言うまでもないであろう。
でわ、おやすみなさいMcWhorterさん。
参考:Yakima Memory
MOFのStearman C-3B 写真Wiki
R.J. McWhorter Photo: Milly Kovacich/Yakima Herald