Bandoalphaのらく書き帳

 おっさんのブツブツですぅ。 脱力系あるいはガッカリ系ブログとでも申しましょうか、その時その時の思いついた事の、テキト~なメモ書き、らく書きですぅ。       至らない点につきましては、ご指摘を戴ければ嬉しいです。 ただ、ご指摘を戴いても、進歩・学習する能力がねえ~                                                                Toshi Hino/桧野俊弘 Bandoalpha@msn.com                                                    

2012年05月

Copper River Salmon

今頃の季節は、アラスカのCopper Riverというところで獲れる鮭が毎年入荷してくる。
6月頃まで続くみたいだが、今年は5月18日にアラスカ・エアラインがシアトルにこの鮭の初荷を運んで来たと云う。
http://www.alaskaair.com/content/cargo/copper-river-cookoff.aspx?INT=AS_c3PzM_||20120518_AW||

初夏の訪れを告げる季節物でもあるから、ちょうど日本の「初鰹」みたいなものだろうか。

今は冷凍技術が発達しているから、鮭などは年中スーパーに出回っているのだが、ニュースで騒がれ、”生の天然物”と聞くとなんとなくひと味違って美味しいような気がする。

宮城県の田舎では、子供の頃「鮭」といえば「塩引き」のことであった。
それも今のような薄味の上品なものでなく、遠慮なく塩をふった、焼くと塩が白く吹くようなものである。

この塩引き一つでご飯はいくらでも進むから、肉体労働者の土方のドカ弁というのは、しっかり圧し込んだ飯の上に塩引き一枚を載せたものが多かった。
昼休みになると、郡部から稼ぎに来ている日焼けした汗臭い男達が、塩引き弁当にもりもりと喰らいついていたものである。

汗を搾って働いた空腹に、東北の米飯と塩引き、というほどの美味いものも、考えてみると他にはあるまい。
ああゆう男達が、いちばん美味い鮭の味を知っていたろうか。

「塩引き」が懐かしくなって、「赤穂のあらなみ」という天然塩を購い、鮭の切り身にこれをたっぷりと振って”塩引き”を作り、焼いて喰ったことがあった。
が、あまりのショッパさに途中で気分が悪くなった。


Sea-Tacで見かけた鮭塗装のアラスカ・エアライン
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フクシマ原発事故総漏出量

火元である東京電力による福島原発事故での放射性物質の総漏出量推定値が、事故発生から1年以上を経て、やっと公表された。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/2012/1204619_1834.html

大気への漏出総量については3月12日から31日迄の、2011年3月分のみで(4月以降の漏出量は3月の1%未満であるとして除外)、放射性ヨウ素換算としてI-131(500PBq)とCs-137(10PBqX換算係数40)のみとし、計900PBq。
90万テラベクレルとなる。

海洋への漏出分については、3月26日から9月30日までの漏出量で、放射性ヨウ素換算として同上換算すれば、I-131が11PBqとCs-137の3.6PBqX40(換算係数)で、計155PBqとなるだろうか。
15.5万テラベクレルとなる。

大気への漏出90万テラベクレル+海洋への漏出15.5万テラベクレルで、総漏出量は105.5万テラベクレルとなるだろうか。

換算から除外している核種もあり対象期間も限定しているので、今後時間が経てばも少し増えた値が公表される可能性はありそうだが、今回の東京電力福島第一原発事故での放射性物質漏出総量というのは、放射性ヨウ素換算で100万テラベクレル以上~120万テラベクレル程度というところになるだろうか。

国民平均にすれば、一人当たり100億ベクレル程度、国土面積平均にすれば300万ベクレル/㎡程度の核汚染を生じた事故ということになる。

大気中に放出された90万テラベクレルの放射性物質は風向きにより、海洋上に降下したものも当然あるだろうが、どうも陸地に大部は降っていたようなのが気になる。

放射線障害は、高い放射線を浴びるような急性でなければ、晩発性のものであり、発生も確率の問題であり、細胞分裂が活発で影響を受け易いとされる幼少者が、何年か先に何人かに1人といった確率で障害を受ける可能性の問題である。
10年20年経たなければ、その影響ははっきりとは解らないところがある。

フクシマ近郊以外の人はこんなことは少し時間が経てば忘れてしまうのだろうが、原発周辺地域、福島市や郡山市といったところに住んでいる親子は、放射線による障害発生の確率に当ることを惧れながら、これからの人生を送ることになる。気の毒である。

以下、新聞報道など引用
本公表以前にある程度の数字を事前リーク報道して、衝撃的発表になることを避ける。 公表する値は90万とし100万は超えない値とする。 報道にあたっては必ずチェルノブイリ事故の520万という数字を入れる。こんなところがどうも目に付くのは気のせいだろうか。

◇◇◇読売5月23日
原発事故の放射性物質、保安院試算の1・6倍
東京電力は、福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の放出量(ヨウ素換算)について、経済産業省原子力安全・保安院が2月に公表した最新試算値の1・6倍にあたる76万テラ・ベクレル(テラは1兆)に上るとの推計を初めてまとめた。

 来月取りまとめる社内事故調査委員会の最終報告書に盛り込む見通しで、福島県など地元自治体への説明を始めた。

 放出量の推計は、炉心の損傷具合から計算する方法と、大気や海水の放射性物質の濃度から逆算する方法で数値に差があり、保安院は昨年6月に77万テラ・ベクレル、今年2月に48万テラ・ベクレル、原子力安全委員会は昨年8月に57万テラ・ベクレルとする試算値を公表した。

 東電は二つの方法を組み合わせ、条件を変えながら計算を繰り返し、ヨウ素131が40万テラ・ベクレル、セシウム137が36万テラ・ベクレル(ヨウ素換算)とする試算をまとめた。

 チェルノブイリ原発事故での放出量は520万テラ・ベクレルだった。

(2012年5月23日03時05分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20120522-OYT1T01713.htm

◇◇◇読売5月24日
2号機の容器損傷、最大汚染放出源に…東電推定
東京電力は24日、福島第一原子力発電所事故で、福島県飯舘村などに最大の土壌汚染をもたらした昨年3月15日の放射性物質の放出は、2号機の格納容器の損傷が原因とみられると発表した。


 1~3号機から環境中に放出された放射性物質の総量(ヨウ素換算)は90万テラ・ベクレル(1テラ・ベクレルは1兆ベクレル)と推定され、政府試算の1・2~1・9倍になった。

 推計の対象は昨年3月12~31日。4月以降の放出量は3月の1%未満とみられるため含めていない。放出量は、敷地内で計測された放射線量などから逆算して求めた。線量が上がった際の各号機の圧力変化などを調べ、放出源も推定した。

 福島第一原発から約30キロ離れた飯舘村などへの汚染は、3月15日に2号機から放出された16万テラ・ベクレルが原因とされた。格納容器の圧力が同日未明に設計値の約1・5倍にあたる7気圧を超え、容器上部のつなぎ目などが損傷して漏出した可能性が高い。同日午後には北西向きの風となり、夜に降った雨で土壌汚染につながった。

(2012年5月24日21時57分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120524-OYT1T01150.htm

◇◇◇時事ドットコム
放出総量90万テラベクレル=昨年3月、2・3号機が8割-福島第1事故・東電推計
 東京電力福島第1原発事故で、東電は24日、事故翌日の昨年3月12日から同31日までの放射性物質の放出総量(ヨウ素換算)を90万テラ(テラは1兆)ベクレルとする推計結果を公表した。経済産業省原子力安全・保安院が2月に試算で示した48万テラベクレルの1.87倍。チェルノブイリ原発事故(1986年)の520万テラベクレルの17%の数値だ。
 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「他の評価ともオーダー(桁)は合うが、ヨウ素131はやや過大評価の可能性が残る」と話した。
 東電はモニタリングカーで計測した放射線量の変化などから、原子炉から放出された放射性物質量を推計。1~3号機の格納容器圧力の変化、水素爆発、炉内の気体を放出するベントなどの時間と突き合わせ、いつ、どの号機から放出されたかを推定した。さらに、当時の風向などから拡散状況を分析し、文部科学省による土壌の沈着量調査結果とも比較的一致することを確認した。
 その結果、キセノンなどの希ガス類とヨウ素131がそれぞれ約50万テラベクレル、セシウム134、137がそれぞれ約1万テラベクレルと放出総量を推定。ヨウ素は保安院推計の約15万テラベクレルより多いが、放出されやすさを高めに仮定した影響とした。
 各号機の推計では、2号機が最も多く、3号機もほぼ同じで、それぞれ全体の4割を占めた。残り2割が1号機で、プール内の使用済み燃料に損傷がない4号機からの放出はほとんどなかった。(2012/05/24-20:54)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012052400632

◇◇◇産経
福島第1原発、放射性物質90万テラベクレル放出 東電が初の試算公表
2012.5.24 23:34
 東京電力は24日、福島第1原発事故翌日の昨年3月12日から同31日までの放射性物質の総放出量が約90万テラベクレル(テラは1兆)とする試算結果を公表した。経済産業省原子力安全・保安院の試算の1・87倍、520万テラベクレルが放出されたチェルノブイリ原発事故の約17%にあたる。東電が試算を示すのは初めてで、これまでの推計で最も高くなった。

 東電はモニタリングポストで計測された放射線量の変化などから、放出された放射性物質の量を試算。各号機の放出は2、3号機で4割ずつ、1号機から2割とし、4号機からの放出はないとした。

 福島県飯舘村など北西方向への汚染は、3月15日朝と夜に、2号機から放出された計約10万テラベクレルのヨウ素131などが、風向や降雨で沈着したと推定。1、3号機の水素爆発の影響は小さいとの見方を示した。

 一方、海への放出は調査を始めた昨年3月26日から9月末までで、高濃度汚染水の流出を含む約1万8千テラベクレルと試算した。

 総放出量は保安院と内閣府原子力安全委員会も試算し、保安院は今年2月に48万テラベクレル、安全委も昨年8月に57万テラベクレルとの結果を公表している。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120524/scn12052423350000-n1.htm
◇?

宇宙から見た閲兵パレード

去る4月15日の北朝鮮での、”金日成生誕100周年記念大閲兵式”の模様を、宇宙からDigitalGlobe社が衛星写真で捉えたものがネット上に出ていた。
http://24.media.tumblr.com/tumblr_m2n3jwKLE81qakqyfo1_1280.jpg

パレードの後尾のほうから、KN-08、ムスダン、ノドン、スカッド、KN-02、S-300様のSAMキャニスター・・・と続くわけだが、KN-08を除いて、いずれも予備車両を1台用意していたことが解る。
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北朝鮮の装備はかなりな”年代物”が多く、車両故障などもよく発生するのであろう、閲兵式には予備車両を用意しておき、式場進入直前で不要となった車両が横道に分かれ出る様子がビデオでも確認できる。
http://www.youtube.com/watch?v=l-6m_uy9KFo&feature=related

KN-08には予備車両がないのは、車両が新品で信頼性が高く故障発生の可能性が少ないのと、KN-08自体の保有数が少ないことを示唆するものだろうか。

万一観閲台正面で車両故障が生じ、立ち往生でもしようものなら、その部隊指揮官や兵はタダでは済まないだろうから、式典の参加者は”命懸け”だったろうか。

失敗すれば、”おまいは主体思想の学習が足りないからそうなる”ということで教育施設()に送られたりするのだろうから、人民は何をするにも命懸けの国だろうか。

70年目のレスキュー

サハラ砂漠で偶然飛行機が発見されたという。()(

1942年6月に行方不明になっていた英空軍のカーチスP-40E戦闘機。

酷い砂嵐に会う事もなかったようで、機体の状態が極めて良好であり、全てが70年前に不時着した時のままに止まっているようである。

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MSNBC/Jakub Perka

状況からすると、脚下げで不時着陸しようとしたようだが、上空からは一見不時着適地に見えても、なにぶん荒地であり、主脚が吹き飛び、機首下面を強く打ったようで、機首下面部の損傷が著しい。
吹き飛んだプロペラの損傷具合からして、エンジンは動いていたろう。

パイロットは、ガン・サイトに頭くらいぶつけてコブくらいは作ったかも知れないが、無事であったろう。

当時24歳だという不時着した英軍パイロットのその後だが、パラシュートが機体の傍にあったというから、パラシュートで日除けを作り、ラジオ(無線機)とバッテリーが同じく機外にあったというので、救助要請の通信を試みたのだろう。

1942年の北アフリカといえば、”Desert Fox(砂漠の狐)”と怖れられたロンメル将軍率いる独逸機甲軍団が、砂漠を縦横に機動して神出鬼没と暴れまくり、英軍はじめ連合軍を苦戦させていた頃であり、戦争真っ最中であるから十分な捜索など難しかったろうか。

不時着後、レスキューが来てくれる望みが無いようだと解ったあとだが、座して死を待つよりはやはり、徒歩で砂漠脱出の”ゼロではない”チャンスに賭けたものだろうか。

熱砂の砂漠を水も持たない状態では、屈強な若い兵隊といえども20マイルも歩ければ良いほうと言うから、何処かで遂に力尽き、歴史の砂の中にその不運の身を埋めたものだろうが、70年の歳月が末路のその悲劇を幾分薄めてくれているのが、せめてもの救いだろうか。

何も目標が無い広大な砂漠を歩くと、人間は真っ直ぐな方角には進めず、知らず知らずのうちに大きな円を描いて、元の場所に還ってしまうという話は聞く。

水の湧くオアシスを見つけたり、駱駝で月の砂漠を旅行くキャラバンに拾われたり、ガンガン冷えたアサヒ・スーパー・ドライの自動販売機に偶然出遭ったりということは、やはり起らないものなのだろう。

英パイロットは公式には、「MIA (Missing In Actionー作戦中行方不明)」となっている。

いまだにサハラ砂漠を彷徨っていれば、今年で94歳になるのだが・・・

霧のエアポート

全日空が7月25日よりシアトルー成田路線を開設するという。(

新鋭機である787を投入する路線のようだが、機材繰りの関係で当初は777-300ERで運行し、秋以降に787に切り替えるとのことのようだ。
久しぶりに「日の丸の翼」がSea-Tac空港を離発着することになる。

暫く前になるが、日本航空がシアトルー成田路線を運行していたことがあった。

この日本航空便でシアトルに訪米される方を、Sea-Tac空港まで出迎えに行ったことがあった。
空港に着いて見ると、飛行機は遅れており、「到着は何時になるのか解らない」のだと言う。

海に近いこの空港は、稀に気ままな海霧が押寄せて来、空港をすっぽりと蓋ってしまうことがある。
着陸出来なくなった定期便は、上空でぐるぐるとホールディング・パターン飛行したり、或いは近郊の飛行場にダイバートして、霧が退いて着陸許可が出るのを待つこととなる。

海霧というのは寄せて来る時も早いものだが、退く時も”すぅ~”とばかりに、今まで視界ゼロのミルク色の世界だったものが見る見る嘘のような青空に変わったりするので、運転手君としては、何処かに行くわけにもいかず、人気も失せたターミナルの長い椅子に一人ぽつんと座って只管待つことになる。

相手は霧である。
慌てても仕方ないので、靴を脱いで、若干匂う靴下も取って、水虫の手入れをしていた。

「どなたか、お待ちですか?」
突然の頭上の声に慌てて見上げると、そこにはメガネの男の四角い難しい顔があった。

日航の吉田空港支店長と言う方であったが、ターミナルを巡回中、いかにも挙動不審な男が居たので、言葉こそ丁寧ではあったが、誰何したものであったろう。

若干おかしくはあるが、怪しくはないことが解ったのだろう、色々お話をお聞きすると、脇本さんとは陸航士60期の同期なのだという。
戦争中調布の飛行第244戦隊で整備隊長をされた茂呂さんが調布に居られた頃である。

飛行第244戦隊というのは、帝都東京に来襲するB-29群に対して、空中で体当たりまでして迎撃していた「醜の御楯」の帝國陸軍戦闘機隊である。
小林戦隊長自らもB-29に体当たりしているそうだが、「震天制空隊」と称する空中体当たり専門のチームが編成されていたという。

B-29は1回や2回の航過射撃では撃墜は困難で、速度や高空性能にも優れているので当時の日本の戦闘機では反復攻撃自体がそもそも至難の技であった。
ぶつかって墜そう、とうことだったろうが、対艦船特攻と違って、体当たり後は落下傘で脱出しー出来ればの話だろうがー、何回でも体当たり迎撃に上がるものであった。

東京上空で繰り広げられる迎撃戦の様子は地上の防空監視員からもよく見えたという。

ある時、キラキラと輝る小さな戦闘機がB-29に体当たりしこれに黒煙を噴かせたと見るや、戦闘機の乗員は脱出し降下した。
ナントカ伍長とか軍曹とかいうその乗員は、落下傘を開こうともがいている様子であったが、落下傘が開かないとみるや、空中で直立不動の姿勢をとると皇居に向かって挙手敬礼をし、そのままの姿勢で工場の屋根に激突戦死した、という話を三鷹の住民から聞いたことがあった。

”上にいる”のだという乳白色の空を眺めながら、飛行機の四方山話を伺っているうちに、霧も晴れてきたようである。
上空に待機して居たジャンボ機もそろそろ降りてくるようだ。

吉田支店長はターミナルを繋ぐ無人地下鉄に日本語の案内アナウンスを導入させる等、ぐぁんぐぁんとやっていたから空港事務所もさぞ困ったことだろうか。
別れ際に、「何か急ぎのものがある時は何時でも言って下さい、持たせてやりますので。」と、まるで当方の事情を承知しているかのように、力強くおっしゃて戴いたのは有難いことであった。

思えばあの頃の日本人というのは、自分がどうのとか自分の組織や会社の事ばかりでなく、産業振興で「国の為に」という思いが、心底にはあったように思う。

私自身も、シアトルに戻る飛行機が霧で降りられず、乗機がバンクーバー空港にダイバートしたことがあった。

バンクーバー空港では、臨時にお邪魔している機体であるから、ターミナルからは遠く離れた駐機場に並んでパークし、機外には出られない。

こうなると人種は違っても皆考える事は同じで、ギャリーに通って「酒を。何でもいいから」となる。
元々着陸寸前の機体であるから、2杯も飲んだらもう酒は無くなっていた。
あとは哀しい事に、捨てられない最後の缶を手に、時おり天を仰いで飲んだふりをするしかなくなってしまう。

当時日本航空というのは若干運賃が高かったようで、私の乗ったのは運賃の安い米系のエアラインであった。
米系でも太平洋線には日本人の客室乗務員も乗っている。
時間ばかりが余っているお蔭で、憧れの”花のスッチー”さんとも愉しくおしゃべりをすることが出来た。
幸い、まだ若い初々しい感じの綺麗な方であった。

やがて霧も晴れたようで、駐機していた機体が一斉に動き出す。
バンクーバーからシアトルまでは、74だと離陸したら、もう着陸アプローチである。
やっと着いたと思い、通関手続きの列に並んでいると、乗員用通関口にクリューたちがやって来た。
見ていると先ほどのスッチーさんもやって来た。
相手もこちらに気付いたようで、「わ~、お元気で~」と手を振ってくれた。
私も調子を合わせて大きく手を振っていた。
前の家族連れの男の子が、”このおやぢ、バカぢぁねの?”と言った目でこちらを見ているのが若干気にはなったのだが・・・

エアポートの霧というのも悪くはない。
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