川本稔先生には、シアトルに来られて川戸さん(川戸正治郎元海軍二飛曹)に会われた時に、私も陪席してお会いしたことがあった。
矍鑠としてお元気のご様子なのは何より。
そうなあ、原子力発電については色々な意見もあるだろうが、狭い島国の日本で、50基も60基も原子炉を並べ、使用済み核燃料は持って行き場が無いので、数万本もの使用済み核燃料体を原発施設内に積み上げている現在の状況は、異常であり、やはり「狂っている」と言うべきか。
原発を作って運転し、電力を売って凌ぎとする電力会社は、天災地変はじめ外部要因によって大規模放射能汚染が生じる事態は”想定外”の事であり、基本的に電力会社は原発重大事故からは免責である。
その処理は政府、つまり国民がその責を負担することになる。(原子力損害の賠償に関する法律)
福島の原発事故を見ていて、当事者である東京電力には原発重大事故への何の備えも無く、対処能力も持たないことが解ったが、原発を所有し運転する電力会社は、そもそも原発重大事故の場合の責任は免責なのだから、それらを考慮する必要が無い。
安全を度外視すれば、原子力ほど発電原価が安いものも他に無いであろうし、電力の売値というのは発電ソース毎ということは無く政府の認可一本であるから、電力会社にとっては、原子力発電事業ほど”おいしい話”もないことであったろう。
原子力保安院?とか原子力ナントカ委員会とかいう重厚尊大な名称の、原子力の安全を保障するハズの政府機関も、実態は形ばかりの空虚なものであった。
「有り得ない」としていた原子力重大事故が福島で起きてしまったわけだが、東京電力の役員幹部には何の瑕疵もないし、政府の原子力機関のお偉い方々にも、何の責任も生じていない。
”全員が被害者”であり、本当の被害者である一般”民草”の国民が全てを”自己責任”で負担する形に巧みに出来ている。
「原発は安全なものですから、放射能汚染事故は起こりません」としていたものが現実に発生したあとは、「放射能の影響と言うのは実は大したことはない」、「影響が出るとしても”地方”の子供にであり、それも他の事象と比べれば極めて微少なものである」等と公然と説得がなされる。
倫理として破綻しているし、人を傷付けることが解っている技術というのは科学として破綻していよう。
昨年の日本の新生児の出生数というのは、今までの最低記録を更新したそうで、日本は人口減少に歯止めがかからず、このままでは年金制度はじめ社会のシステムが立ち行かなくなるので、「少子化対策」というのが急務とされているようだが、小手先の姑息な少子化対策をいくらやったところで、今回の原発事故で垣間見えたような、嘘と誤魔化しで成り立つような、「金銭を至上なものとする、騙しの国家社会」というのでは、普通の若い人たちは、この国で子供を沢山育てようという気にはならないのではあるまいか?
人間の平等と自由、正直や、誠実ということに価値観の重点を置いた、生きる事に悦びの見い出せる国家社会がやはり作れないと、日本という国は潰えてゆくであろう。
<参考>
日本という国は、面積378千平方km、人口1億2千万人という。
日本の原子力発電所は現役のもの18箇所に原子炉47基、その他に福島第一などの廃止・解体中のものが4箇所で原子炉8基があるという(Wiki)。
日本より広いという米国のカリフォルニア州(面積424千平方Km、人口3千800万人という)だが。
カリフォルニア州にある原子力発電所というのは現在稼働中のものは1箇所で原子炉2基。廃炉のものが発電所1箇所で原子炉3基である(Wiki)。
◆◆◆以下引用◆◆◆
★戦後日本の原子力発電計画に対する一人の米国人物理学者の諌言★
川本 稔 2011年4月8日
1957年、私は当時の岸内閣の経済閣僚であった高崎達之助氏の命を受け、原子力の平和利用の現状視察のため同僚と二人でアメリカへ渡った。
当時日本の原子力に対する一般認識が低く、原子力=原子爆弾と云う域を余り出ていなかったと思う。原子力の平和利用については、まったくという程一般知識が欠けていた。勿論私も例外ではなかった。
そのような時代に私は、アメリカの代表的な原子力発電施設や原子力研究所の幾つかをつぶさに見ることができ、極めて充実した希望の毎日を送っていた。そして旅程の最後にテネシー州にあるオークリッジ国立研究所(Oak Ridge National Laboratory)を訪問したときほど深い感銘をうけたことがなかった。そこで初めて、原子力開発自体に極めて根本的な問題が幾つもあることに開眼させられた。
同研究所の所長、アルヴィン・ワインバーグ博士(Dr. Alvin Weinberg)が、戦後初めて会う我々日本人に話してくれた貴重な lesson をここで紹介しておきたいと思う。
「私は広島に落とされた原子爆弾、"Little Boy" の製作に係わった一人です。まさか人間の密集する頭上にこれが落とされるとは思いも寄らなかった。それ以来罪悪感に苛まれ、若しもう一度人間に生まれ変わることがあれば物理学者に絶対ならないと誓っている。それほど後悔している。日本国民に深くお詫びしたい」と言って右手をさしだした。
その時彼の眼には光るものが見え、私も胸中熱いものが込み上げて来たのを今でも鮮明に覚えている。私にとって、原爆投下の罪を詫びたアメリカ人が、彼が初めてであったからであろう。そして今でも、彼が最初で最後である。
ワインバーグ博士は更に言う:
「日本は廣島、長崎と二度までも原爆と言う悪魔の洗礼を受け、もう原子力には懲り懲りだと思っていたにも拘わらず、今度は原子力の平和利用と言う名目で、特に原子力発電に興味を持ち始めた。これには私は理解に苦しむ。そこで貴方に言っておきたい事がある。どうかそれを私の土産として日本の皆様に伝えてほしい」
「いったん原子力開発に手を染めるとPandoraのBoxをOpenするのと同じことになる。この世のありとあらゆる災難が頭上に降りかかって来る。それは平和利用の為であっても。やがては人類、ひいてはこの地上のすべての生物を破滅に導くのである」と彼は語気強く語った。
さらに彼は言う:
「原子炉でウラン燃料を燃やすとウランの灰が残る。この灰には有毒放射能が残っていて其の毒性は何千何万年と言う長時間残存するものが多い。そこでこの灰を人類其の他地上のあらゆる生物に危害が加わらない安全な方法で保管または処置をしなければならない。
現在アメリカでは、用済み燃料をドラム缶に詰めて人里はなれた広大な砂漠の地中深く埋めるか、深海に沈めている。しかしいずれドラム缶が腐食し中の放射能が漏れて地下水に溶け込み、河川に運ばれ魚介類に吸収され、食物連鎖で最終的には人間の口に入り我々の健康を害し、また連鎖的に動植物に危害を加え、その結果生物に取り返しのつかない事態を引き起こす。
アメリカの一般国民はまだこの様な無責任なやり方に気付いていない。しかし早晩これに気付き、大問題に発展することは必至である。しかし今の所、山積する放射能廃棄物を処分する方法はこれ以外にないのである。実に情けないことである。
未来何千年、何万年にわたり、地上の生物を放射能の危害から100%安全に守る方法が見つかる可能性は残念ながら薄いと言わざるを得ない。まさに八方塞がりの状態で、これは原子力開発のもつ実に悲しい宿命である。
また原子炉の耐用命数は約30年。30年経てば解体しなければならない。しかし今日現在、いまだ安全な解体技術が開発されてないという悲しい現状である。かりに開発されたとしても、比べ物にならない高レベルの放射能を持つ炉心部やその他部品をどうやって安全管理するのかと言う更なる難問題にぶつかる。
一方、原子力による発電コスト(直接費)については、各種レベルの放射性廃棄物の保管又は処分にかかるコスト(間接費)を加算すると、きわめて高いものにつく。アメリカの原子力発電は戦争目的で作られた原子炉の副産物であり、しかも無利子の資金を使っているので商業用発電コストの参考にはならない。
さらに日本の原子力発電施設の立地条件の観点から見ると、
1.日本は人口が多い。(アメリカの約50%)
2.その領土は狭い。(アメリカの約5%)
3.その上、地震多発国である。
という悪条件が三拍子揃っている。まるでバッターボックスに立つ前に三振がコオルされているのと同然である(like having three strikes called before coming to the batter's box)。
また原子炉の運転ミスが絶対にないと言い切れない。その上、予想外に大きい地震が発生し大量の放射能漏れが発生したとなると、日本の人口が稠密(ちょうみつ)である為、外国と比べ物にならない多くの人身災害が出る可能性が大である。かりに放射能漏れがなくとも、放射性廃棄物の不完全管理の為、原子爆弾による一瞬にして起こるダメージと同程度のものが、じわじわと起こることが必然である。
原爆の恐ろしさを身をもって体験させられた日本人こそ、原子力の平和利用、中でも安価で豊富な電力と言う美名に乗せられて悪魔と取引してはならない。又、科学者の言うことを鵜呑みしてはいけない。
日本には同じ太陽熱の利用であっても核分裂によらない世界に冠たるクリーンな生産技術があるではないか。それはクロレラ生産の技術である。代表的な施設が東京郊外にあるはずだ。クロレラを増産し、人や動物の食用に供し、そのノウハウを応用発展させれば有益な展望が開けるのではないか。
このようにワインバーグ博士は、原子力開発の先駆者として、それも廣島に投下された原子爆弾製造に加担した一人として、後悔の念もあって心の奥底から日本に対して忠告してくれているのだ、と緊張して一言一句逃さないよう聞き耳を立てていた。
帰国して岸総理、高崎大臣に、博士の忠告をそのまま報告したことは言うまでもない。しかし日本の採った道は博士の言う「悪魔の原子力発電」であった。いまや60余の原子力発電施設が日本狭しと並んでいる。しかも日本が選んだ発電炉は皮肉にもワインバーグ博士の特許である、ウランを燃料とする軽水炉であった。しかも早や1960年代初頭、既に博士はウラン型軽水炉の弱点を声高々と警告していた。
博士は、電気系統に故障が起きた時に原子炉が制御困難に陥り暴走する危険性のあることを指摘し、そのようなことのないトリウム燃料型への切り替えを推奨していたのだが、アメリカ政府と業界の猛反対に遭い、ついに博士は長年勤めたオークリッジ研究所を追われる身となった。
いうまでもなく日本の原子力発電は、勤勉な日本の労働力と相まって、戦後日本の産業復興に貢献し「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のラベルが至るところに貼られるまでに至った。その功績は将(まさ)に原子力発電に負うところ大であった。一方、パンドラの箱が開かれてから早や50数年、博士の恐れた「この世のありとあらゆる災難」の一つ、いや三つ、「地震、津波、原発破壊」がわが国を襲い、我々は英知を絞って対処している真っ最中である。
結果いかんを問わずわが国民は、これ以上原子力発電政策の継続を許さないだろう。これに変わるClean energy, clean air政策を重点的に採用することを要求するであろうし、そうすべきである。
日本としては、すでに実用化されている風力発電、太陽熱パネルの利用を大々的に後押しし、小型強力電池(大型車両、船舶、住宅、ビル、工場等に用いる)の開発を応援し、その他 clean な方法でcleanな環境つくりに専念すべきであることは、いうまでもなく肝要(かんよう:非常に大切なこと)である。
原子力が日本にもたらした功罪、就中(なかんづく:とりわけ)、現在展開中の第三の惨状をワインバーグ博士はどのような思いで観ておられのであろうか。いまや知る術もない。ただ慙愧(ざんき:恥じ入ること)の涙で目を一杯にしていることであろう。願わくば、彼の顔に笑みが戻る日の早からんことを祈っている。
引用元:「バイナフ自由通信+原発ダイアリー」
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矍鑠としてお元気のご様子なのは何より。
そうなあ、原子力発電については色々な意見もあるだろうが、狭い島国の日本で、50基も60基も原子炉を並べ、使用済み核燃料は持って行き場が無いので、数万本もの使用済み核燃料体を原発施設内に積み上げている現在の状況は、異常であり、やはり「狂っている」と言うべきか。
原発を作って運転し、電力を売って凌ぎとする電力会社は、天災地変はじめ外部要因によって大規模放射能汚染が生じる事態は”想定外”の事であり、基本的に電力会社は原発重大事故からは免責である。
その処理は政府、つまり国民がその責を負担することになる。(原子力損害の賠償に関する法律)
福島の原発事故を見ていて、当事者である東京電力には原発重大事故への何の備えも無く、対処能力も持たないことが解ったが、原発を所有し運転する電力会社は、そもそも原発重大事故の場合の責任は免責なのだから、それらを考慮する必要が無い。
安全を度外視すれば、原子力ほど発電原価が安いものも他に無いであろうし、電力の売値というのは発電ソース毎ということは無く政府の認可一本であるから、電力会社にとっては、原子力発電事業ほど”おいしい話”もないことであったろう。
原子力保安院?とか原子力ナントカ委員会とかいう重厚尊大な名称の、原子力の安全を保障するハズの政府機関も、実態は形ばかりの空虚なものであった。
「有り得ない」としていた原子力重大事故が福島で起きてしまったわけだが、東京電力の役員幹部には何の瑕疵もないし、政府の原子力機関のお偉い方々にも、何の責任も生じていない。
”全員が被害者”であり、本当の被害者である一般”民草”の国民が全てを”自己責任”で負担する形に巧みに出来ている。
「原発は安全なものですから、放射能汚染事故は起こりません」としていたものが現実に発生したあとは、「放射能の影響と言うのは実は大したことはない」、「影響が出るとしても”地方”の子供にであり、それも他の事象と比べれば極めて微少なものである」等と公然と説得がなされる。
倫理として破綻しているし、人を傷付けることが解っている技術というのは科学として破綻していよう。
昨年の日本の新生児の出生数というのは、今までの最低記録を更新したそうで、日本は人口減少に歯止めがかからず、このままでは年金制度はじめ社会のシステムが立ち行かなくなるので、「少子化対策」というのが急務とされているようだが、小手先の姑息な少子化対策をいくらやったところで、今回の原発事故で垣間見えたような、嘘と誤魔化しで成り立つような、「金銭を至上なものとする、騙しの国家社会」というのでは、普通の若い人たちは、この国で子供を沢山育てようという気にはならないのではあるまいか?
人間の平等と自由、正直や、誠実ということに価値観の重点を置いた、生きる事に悦びの見い出せる国家社会がやはり作れないと、日本という国は潰えてゆくであろう。
<参考>
日本という国は、面積378千平方km、人口1億2千万人という。
日本の原子力発電所は現役のもの18箇所に原子炉47基、その他に福島第一などの廃止・解体中のものが4箇所で原子炉8基があるという(Wiki)。
日本より広いという米国のカリフォルニア州(面積424千平方Km、人口3千800万人という)だが。
カリフォルニア州にある原子力発電所というのは現在稼働中のものは1箇所で原子炉2基。廃炉のものが発電所1箇所で原子炉3基である(Wiki)。
◆◆◆以下引用◆◆◆
★戦後日本の原子力発電計画に対する一人の米国人物理学者の諌言★
川本 稔 2011年4月8日
1957年、私は当時の岸内閣の経済閣僚であった高崎達之助氏の命を受け、原子力の平和利用の現状視察のため同僚と二人でアメリカへ渡った。
当時日本の原子力に対する一般認識が低く、原子力=原子爆弾と云う域を余り出ていなかったと思う。原子力の平和利用については、まったくという程一般知識が欠けていた。勿論私も例外ではなかった。
そのような時代に私は、アメリカの代表的な原子力発電施設や原子力研究所の幾つかをつぶさに見ることができ、極めて充実した希望の毎日を送っていた。そして旅程の最後にテネシー州にあるオークリッジ国立研究所(Oak Ridge National Laboratory)を訪問したときほど深い感銘をうけたことがなかった。そこで初めて、原子力開発自体に極めて根本的な問題が幾つもあることに開眼させられた。
同研究所の所長、アルヴィン・ワインバーグ博士(Dr. Alvin Weinberg)が、戦後初めて会う我々日本人に話してくれた貴重な lesson をここで紹介しておきたいと思う。
「私は広島に落とされた原子爆弾、"Little Boy" の製作に係わった一人です。まさか人間の密集する頭上にこれが落とされるとは思いも寄らなかった。それ以来罪悪感に苛まれ、若しもう一度人間に生まれ変わることがあれば物理学者に絶対ならないと誓っている。それほど後悔している。日本国民に深くお詫びしたい」と言って右手をさしだした。
その時彼の眼には光るものが見え、私も胸中熱いものが込み上げて来たのを今でも鮮明に覚えている。私にとって、原爆投下の罪を詫びたアメリカ人が、彼が初めてであったからであろう。そして今でも、彼が最初で最後である。
ワインバーグ博士は更に言う:
「日本は廣島、長崎と二度までも原爆と言う悪魔の洗礼を受け、もう原子力には懲り懲りだと思っていたにも拘わらず、今度は原子力の平和利用と言う名目で、特に原子力発電に興味を持ち始めた。これには私は理解に苦しむ。そこで貴方に言っておきたい事がある。どうかそれを私の土産として日本の皆様に伝えてほしい」
「いったん原子力開発に手を染めるとPandoraのBoxをOpenするのと同じことになる。この世のありとあらゆる災難が頭上に降りかかって来る。それは平和利用の為であっても。やがては人類、ひいてはこの地上のすべての生物を破滅に導くのである」と彼は語気強く語った。
さらに彼は言う:
「原子炉でウラン燃料を燃やすとウランの灰が残る。この灰には有毒放射能が残っていて其の毒性は何千何万年と言う長時間残存するものが多い。そこでこの灰を人類其の他地上のあらゆる生物に危害が加わらない安全な方法で保管または処置をしなければならない。
現在アメリカでは、用済み燃料をドラム缶に詰めて人里はなれた広大な砂漠の地中深く埋めるか、深海に沈めている。しかしいずれドラム缶が腐食し中の放射能が漏れて地下水に溶け込み、河川に運ばれ魚介類に吸収され、食物連鎖で最終的には人間の口に入り我々の健康を害し、また連鎖的に動植物に危害を加え、その結果生物に取り返しのつかない事態を引き起こす。
アメリカの一般国民はまだこの様な無責任なやり方に気付いていない。しかし早晩これに気付き、大問題に発展することは必至である。しかし今の所、山積する放射能廃棄物を処分する方法はこれ以外にないのである。実に情けないことである。
未来何千年、何万年にわたり、地上の生物を放射能の危害から100%安全に守る方法が見つかる可能性は残念ながら薄いと言わざるを得ない。まさに八方塞がりの状態で、これは原子力開発のもつ実に悲しい宿命である。
また原子炉の耐用命数は約30年。30年経てば解体しなければならない。しかし今日現在、いまだ安全な解体技術が開発されてないという悲しい現状である。かりに開発されたとしても、比べ物にならない高レベルの放射能を持つ炉心部やその他部品をどうやって安全管理するのかと言う更なる難問題にぶつかる。
一方、原子力による発電コスト(直接費)については、各種レベルの放射性廃棄物の保管又は処分にかかるコスト(間接費)を加算すると、きわめて高いものにつく。アメリカの原子力発電は戦争目的で作られた原子炉の副産物であり、しかも無利子の資金を使っているので商業用発電コストの参考にはならない。
さらに日本の原子力発電施設の立地条件の観点から見ると、
1.日本は人口が多い。(アメリカの約50%)
2.その領土は狭い。(アメリカの約5%)
3.その上、地震多発国である。
という悪条件が三拍子揃っている。まるでバッターボックスに立つ前に三振がコオルされているのと同然である(like having three strikes called before coming to the batter's box)。
また原子炉の運転ミスが絶対にないと言い切れない。その上、予想外に大きい地震が発生し大量の放射能漏れが発生したとなると、日本の人口が稠密(ちょうみつ)である為、外国と比べ物にならない多くの人身災害が出る可能性が大である。かりに放射能漏れがなくとも、放射性廃棄物の不完全管理の為、原子爆弾による一瞬にして起こるダメージと同程度のものが、じわじわと起こることが必然である。
原爆の恐ろしさを身をもって体験させられた日本人こそ、原子力の平和利用、中でも安価で豊富な電力と言う美名に乗せられて悪魔と取引してはならない。又、科学者の言うことを鵜呑みしてはいけない。
日本には同じ太陽熱の利用であっても核分裂によらない世界に冠たるクリーンな生産技術があるではないか。それはクロレラ生産の技術である。代表的な施設が東京郊外にあるはずだ。クロレラを増産し、人や動物の食用に供し、そのノウハウを応用発展させれば有益な展望が開けるのではないか。
このようにワインバーグ博士は、原子力開発の先駆者として、それも廣島に投下された原子爆弾製造に加担した一人として、後悔の念もあって心の奥底から日本に対して忠告してくれているのだ、と緊張して一言一句逃さないよう聞き耳を立てていた。
帰国して岸総理、高崎大臣に、博士の忠告をそのまま報告したことは言うまでもない。しかし日本の採った道は博士の言う「悪魔の原子力発電」であった。いまや60余の原子力発電施設が日本狭しと並んでいる。しかも日本が選んだ発電炉は皮肉にもワインバーグ博士の特許である、ウランを燃料とする軽水炉であった。しかも早や1960年代初頭、既に博士はウラン型軽水炉の弱点を声高々と警告していた。
博士は、電気系統に故障が起きた時に原子炉が制御困難に陥り暴走する危険性のあることを指摘し、そのようなことのないトリウム燃料型への切り替えを推奨していたのだが、アメリカ政府と業界の猛反対に遭い、ついに博士は長年勤めたオークリッジ研究所を追われる身となった。
いうまでもなく日本の原子力発電は、勤勉な日本の労働力と相まって、戦後日本の産業復興に貢献し「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のラベルが至るところに貼られるまでに至った。その功績は将(まさ)に原子力発電に負うところ大であった。一方、パンドラの箱が開かれてから早や50数年、博士の恐れた「この世のありとあらゆる災難」の一つ、いや三つ、「地震、津波、原発破壊」がわが国を襲い、我々は英知を絞って対処している真っ最中である。
結果いかんを問わずわが国民は、これ以上原子力発電政策の継続を許さないだろう。これに変わるClean energy, clean air政策を重点的に採用することを要求するであろうし、そうすべきである。
日本としては、すでに実用化されている風力発電、太陽熱パネルの利用を大々的に後押しし、小型強力電池(大型車両、船舶、住宅、ビル、工場等に用いる)の開発を応援し、その他 clean な方法でcleanな環境つくりに専念すべきであることは、いうまでもなく肝要(かんよう:非常に大切なこと)である。
原子力が日本にもたらした功罪、就中(なかんづく:とりわけ)、現在展開中の第三の惨状をワインバーグ博士はどのような思いで観ておられのであろうか。いまや知る術もない。ただ慙愧(ざんき:恥じ入ること)の涙で目を一杯にしていることであろう。願わくば、彼の顔に笑みが戻る日の早からんことを祈っている。
引用元:「バイナフ自由通信+原発ダイアリー」
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