Bandoalphaのらく書き帳

故郷離れてはるばる千里、ひとつ山越しゃ他國の星がぁ・・・昭和の終末高齢者! 思い付いた時に思いついた事などのテキト~なメモ書きらく書き帳ですぅ。 桧野俊弘 ご意見メールは:Bandoalpha@msn.com

2015年02月

もう春か

東部のほうは記録的な寒波なのだとかで、航空便が大混乱したとかのニュースを見るが、寒さが東に行って終ったせいなのだろうか、此の辺りは温暖な冬であり、もう花が咲いてきた。

2月の半ばに花が咲くというのは、今年の春は訪れるのが早い。

もう春であるか。

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南アフリカ共和国

曽野綾子のコラム記事の件で、産経新聞社宛に出された、駐日南アフリカ共和国大使名の「抗議文」(掲載下記)が、同国大使館のフェース・ブックに公示されていた。(南ア大使館HP

曽野綾子のコラムが掲載されたのは、2月11日の産経紙面であったと云い、「抗議文」は2月13日付けであるから、随分と即座な反応ということになるが、駐日南アフリカ大使のMohau Pheko女史としては、日本の主要な全国紙の一つである産経新聞のコラムに於いて、南アフリカの「実情」と称するものを例に出して、だから「居住区は白人、黒人、アジア人というように別にしたほうがいい」、との提言が日本の社会になされているのでは、これは看過するわけにはゆかなかったであろうか。

白人、黒人、アジア人というように肌の色で人間を区別することは、アパルトヘイトの思想そのものであり、南アフリカ現地住民がどれほどの辛惨を舐め、どれほどの犠牲を払って、同じ人間としての束縛・差別からの自由を勝ち取って、今日の南アフリカ共和国があるのかを思えば、当然であろうか。

曽野綾子も、保守派論客として、自身のコラムに一部のいわゆる左翼の低俗な人間が”興奮”するのは何時ものこととしても、まさか、南アフリカの大使までも興奮させてしまうとは、想定外であったことだろうか。

南アフリカ大使より抗議文を受けとった産経新聞社が、どのような返答を同大使館宛出したのか?は定かでないが、小林毅産経新聞執行役員東京編集局長の、「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は一貫してアパルトヘイトはもとより、人間差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」との談話が、2月15日の産経朝刊に載ったそうであるから、南ア大使に返答しているとすれば同様趣旨のものであろうか。

産経新聞が、特定の作者の連載コラムを掲載するのは、なにも白紙面を埋めるために作者個人の経験を掲載するわけでなく、社会の公器である新聞として、その作者の「ものの見方、考え方」を重用して、高名な作家であれば安くは無いであろう原稿料も払って、その作者の社会への提言を掲載しているものであろう。

曽野綾子は、人種によって居住区を別けることは単なる「区別」であり、「差別」ではないのだから、問題無いとの主張である。
アパルトヘイトと言うものは、「見たこともないし、全くわからない」と言うのも慎重に考えて選んだ言葉であり、けっして老人性痴呆(ボケ)ているわけではない。

国際的にも国内的にも、政策や法律によって人種により区別することが出来ない時代であることは十分に承知しており、社会的に人種毎に居住区を別けることを提言している。

「日本は法の下の平等は保障されております」(管官房長官2月13日)と公的にはされていても、社会的に実質上の居住区を人種により別けようというのは、手法が老獪姑息であり、却って性質が悪いともとられようか。

「人種差別撤廃に関する国際条約」ではないが、人種の違いによる偏見や差別を無くそうと努めている国際社会の諸国とは、全く異質の提言であり、コラム作者個人の考えはそれとしても、掲載した産経新聞社は「人間差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とだけの説明では、「区別」については作者同様許容するのか?との疑問も沸く。

本質から乖離して「差別」だ「区別」だと言葉を論うのでは、些か言葉使いの化け物みたいな話であるが、報道機関として国内外の理解を得るには、も少し明確で丁寧な自社の立場の説明が、産経新聞社は要るであろう。

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曽野綾子の釈明

曽野綾子が新聞やインタビューで、質問に応じているところ。


アパルトヘイト提唱していない
曽野綾子氏「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです。」

産経新聞2月15日朝刊



曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」
2015年2月17日05時35分
11日の産経新聞紙上に掲載されたコラムが「アパルトヘイトを許容している」との抗議を受けたことについて見解を求めたところ、作家・曽野綾子氏は朝日新聞に次のコメントを文書で寄せた。

私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。

 私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。

 私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。

 〈その・あやこ〉 1931年生まれ。堕胎を扱った「神の汚れた手」など著書多数。2003年、夫の三浦朱門氏に続き文化功労者。13年1月に安倍政権の教育再生実行会議委員(同年10月辞任)。保守派の論客として知られ、同年8月には週刊誌で「女性は赤ちゃんが生まれたら、いったん退職してもらう」「職場でパワハラだセクハラだと騒ぎ立てる女性も、幼稚」などと発言し、論争になった。エッセー集「人間にとって成熟とは何か」は13年のベストセラー。

http://www.asahi.com/articles/ASH2J5TWDH2JUTIL04N.html



If there is an error in the article, I would correct it. I am a human and I make errors. But that piece doesn’t have any errors,
-私も人間ですから間違いもしますから、もしあの記述に間違いがあるのであれば訂正しますが、あれには何の間違いもありません。-
Wall Street Journal
http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2015/02/13/author-causes-row-with-remarks-on-immigration-segregation/


本人がインタビューに応じたものがYouTubeに上がっている。



居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい」「居住だけは別にした方がいい」と書いたのは、これは「区別」であって、「差別」ではないのだと言う。

南アには9回ほど行っているようだが、訪問したのはアパルトヘイトは終った時代であり、見たこともないという。アパルトヘイトの問題というのがどんなものなのか、全くわからないという。

人種によって居住地は区別されるべきだというのは本人の動かぬ信条のようだが、さすがに法律や政策で居住地を人種で区別できる時代ではないことは理解しているようであり、社会の皆の知恵で巧く区別してほしい、ということのようだ。

ちなみに安倍政権のアドバイザーであったという内外の報道(例えばWSJ-「She served on a panel advising Prime Minister Shinzo Abe on education」)は、全くの間違いであるとし、報道の訂正を要求しているが、第2次安倍内閣における教育提言を行う私的諮問機関である「教育再生実行会議」の有識者(委員)であったことを指摘されると、個人的アドバイザーではないのだから、安倍政権のアドバイザーであったという指摘は全く違うのだと言っている。

ここまでくると、曽野綾子の応答は些か痴呆的でもあり、老醜というべきか。

社会で、いわゆる「知識人」と呼ばれる者が、問題の指摘に直面して、巧みな言葉の解釈を弄し、時には全く独自の解釈まで創って、問題をすり抜けようとするのを見る事は昨今珍しくも無いわけだが、日本語を賤しめるものであり、辟易する。

参考;
「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」
第1条
1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう


http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html

どうした曽野綾子

小説などは読まないのだが、「曽野綾子」という小説家の名前だけなら学生のころから聞いていた。

美貌と文才に恵まれた女流小説家だったようだが(Wiki)、最近は日本の「長老格」として、「日本人の心のあり方」などについても大いに語っているようで、著名な保守派論客として、正統派保守のオピニオン・リーダー的存在のようであり、文科省の新しい道徳教育教材「私たちの道徳」の中学校版にも、曽野綾子の言葉が採用されている。

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文科省「私たちの道徳 中学校」P27より。

話題となっていたのは、産経新聞に掲載した曽野綾子のコラム「「適度な距離」保ち受入れを」(引用全文下記)に於いて、介護職の外国人労働者の受入れ提言とともに、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい」としている部分である。

◇◇◇
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。
しかし、居住だけは別にした方がいい」

◇◇◇

強烈な印象を残したことが窺える、著者が知ったというこの「実情」が、曽野綾子自身が実際に見聞したことなのか、人から人の又聞きの話なのか、たんに小説的手法なのか、文面からは不明だが、ヨハネスブルグの一マンションでの一黒人家族による”メチャクチャな出来事”を、黒人全般に共通している黒人特有の人種的性癖と捉え、だからとても共に住めるものでない、「居住区域を別けるのがよい」とは一体どうゆうおつもりなのか。

白人でも大家族で暮らす者はいるだろうし、小家族で普通に暮らす黒人もいるだろう。勿論日本人でもメチャクチャなのはいる。 置かれていた環境によっても人は変わるだろうし、人種を問わず人間とは多様なものである。

「生まれながらの肌の色や人種によって区別され、分け隔てされる」としたら、それは、特に将来ある子供達にとってはどんなに辛いことだろうか。

コラムの「黒人」を「日本人」に置き換えてみれば、少しは感覚が解るだろうか。


一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、日本人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
日本人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
日本人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは日本人だけになった。

爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。
しかし、居住だけは、日本人は別にした方がいい」


先の大戦中の米国での日系人収容所、そして日系人による、「442nd RCT」(Regimental Combat Teamー歩兵連隊戦闘団)「ニセイ部隊」や、黒人による「Tuskegee Airmen-黒人飛行隊」の史上勇猛稀な獅子奮迅の闘いぶりに見る如く、時に血を流し命を捨てて、人種的偏見・区別・隔離と闘い、人間本来の自由を勝ち取ってきた歴史のうえに今日の自由圏の世界がある。

ネルソン・マンデラらの南アフリカでのアパルトヘイトとの闘いも又然りであろう。

お互い好きな友達家族同士の同じ人種が夫々の自由意志で集まって住む分にはよいだろうが、社会が強制的に人種毎に居住区域を区分けする国家というのは、異様なものであろう。

どうゆう日本にしようと考えているのだろうか。

曽野綾子といえば知識人であろうし、数々の賞にも輝く文学の才に長けた人だろうが、そうゆうことと、人間としての教養というのは全く別のようである。

◇◇◇引用;産経新聞2015年2月11日 曽野綾子の透明な歳月の光

「適度な距離」保ち受け入れを

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。
一方で、若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。

特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。
つまり、高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。

どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。

しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。
しかし、居住だけは別にした方がいい」

◇◇◇

一読して人種的偏見差別を助長するような、「一発アウト」のこのようなコラムをホイホイ掲載する産経も産経である。
人間歳をとると色々と感覚が鈍るようになることも生じよう。
昔はそれが当たり前だったことでも、現代の世界では受け入れられないこともある。

産経新聞社にとって、曽野綾子というのが大切な保守論客なのであれば、年寄が思わず垂れ流して世間に恥を晒さぬよう、”介護”してやるのも新聞編集人の仕事ではあるまいか。

◇◇◇引用;NHK2月15日

曾野綾子さんのコラム 南ア大使が抗議
2月15日 15時09分

産経新聞が、作家の曾野綾子さんが寄稿した、南アフリカを例に、人種ごとに居住区を分けるほうがよいという内容のコラムを掲載したことについて、南アフリカ大使が人種隔離政策「アパルトヘイト」を許容するものだとして産経新聞に文書で抗議しました。

産経新聞の今月11日の朝刊に掲載されたコラムで、曾野綾子さんは介護の分野などの労働力不足を補うため移民の受け入れは避けられないとしたうえで、アパルトヘイトが撤廃されたあとの南アフリカ共和国を例に、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうがいいと思うようになった」と述べています。
このコラムについて、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は14日までに産経新聞に文書で抗議しました。
文書ではコラムについて「アパルトヘイトを許容し、美化した。行きすぎた、恥ずべき提案」としたうえで、「肌の色やほかの基準によって他者を差別してはならない」などとしています。
これについて産経新聞はホームページなどに、「当該記事は曾野綾子氏の常設コラムで、曾野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とするコメントを掲載しました。
また曾野綾子さんの「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しいという、個人の経験を書いているだけです」というコメントも掲載しています。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150215/k10015469391000.html
◇◇◇


YouTubeから

YouTubeを見ていたら、「【映像】イスラム国がF16戦闘機を撃墜する瞬間 パイロット拘束2014.12.24 シリア内戦 」と称するビデオがあった。



こんな明白な、ヨルダン空軍F-16の撃墜映像があるのであれば、ISISが喜んで宣伝していそうなものだが?はて?
よく見るとパラシュートがちょっと変わった十字型であり、F-16のACES2のは丸型の傘であるから、違うような?
どうも、変だな?
と思い調べてみると、以前にシリア政府軍機をIgla携行ミサイルで撃墜した時のビデオを流用して製作されたもののようである。



製作者に間違いを知らせてやるべく、コメントを出したのだが、消されているので、ビデオ製作者は意図的に他のビデオを流用して製作したものなのであろう。

空中から落下してくるこのパラシュートなのだが、全部調べたわけではないが、ロシアのものも射出座席用のパラシュートは丸型のようである。
射出座席用は「小型軽量に」という要求があるものなので、面積比制動力の大きい丸型に落ち着くというところだろうか。

ビデオに映っている赤白十字型のパラシュートは、ロシア製軍用機の着陸時機体制動用のドラッグ・シュートである可能性がどうも高いようである。
被撃墜時に機体から分離したドラッグ・シュート(制動傘)が落ちてきたもののようである。

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