国会での答弁で、安倍首相が自衛隊のことを「我が軍」と言ったというので、朝日新聞が問題視している。
◆◆◆引用:朝日新聞デジタル
(社説)「我が軍」発言 憲法軽視が目にあまる
2015年3月27日05時00分
安倍首相が参院予算委員会で自衛隊を「我が軍」と呼んだことが波紋を広げている。
自衛隊と他国軍との共同訓練について問われ、「『我が軍』の透明性を上げていくことにおいては、大きな成果を上げている」と答えた。
これが批判されると、菅官房長官は記者会見で「自衛隊は我が国の防衛を主たる任務としている。このような組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊の一つということだ」と述べ、首相発言を追認した。
だが歴代政府は「自衛隊は、通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としてきており、憲法上、自衛隊は軍隊ではない。
単なる呼び方の問題ではない。自衛隊の位置づけは憲法の根幹にかかわる。
首相が国会で「我が軍」と言い、官房長官が修正もせずに首相をかばうのは、憲法の尊重・擁護義務を負う者としてふさわしい所作ではなかろう。憲法によって権力を縛る立憲主義の原理をないがしろにするものと言わざるをえない。
たしかに国際的には自衛隊は軍隊の扱いを受けている。だがそれは自衛隊員が国際法上の保護を受けるためだ。他国軍との共同訓練に関する答弁だったとはいえ、国会では自衛隊と呼ぶのが当然ではないか。
憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認をはじめ、一連の安保法制の議論を通じて、安倍政権には憲法軽視の姿勢が際立っている。
日本の安保政策は、憲法との整合性を慎重に考えながら組み立てられてきた。9条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」としつつ、自衛隊が合憲とされるのは「自衛のための必要最小限度の実力は認められる」と解釈したからだ。
1967年に佐藤栄作首相が「自衛隊を、今後とも軍隊と呼称することはいたしません。はっきり申しておきます」と答弁した基本原則は、簡単に覆せるものではない。
内閣府の最新の調査では自衛隊に「良い印象」と答えた人が92・2%と過去最高になった。東日本大震災で黙々と作業に励む隊員たちの姿は、国民の目に焼き付いている。あえて軍と呼ばず、抑制的な姿勢に徹してきた自衛隊への評価の到達点ではないか。
持てる力をむやみに振り回さず、海外の紛争と一定の距離をとってきたからこそ、得てきた信頼がある。その確かな歩みの延長線上に、国民や国際社会の幅広い理解を得られる活動のあり方を描くべきだ。
◆◆◆引用終わり。
日本国憲法(注)は、戦争の放棄と戦力の不保持を謳った「平和憲法」とたしか学校で教わったろうか。
「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
国家としての交戦権を認めず、国際紛争での武力の行使を放棄し、陸海空軍その他の戦力を持たないのであるから、もう日本は永久に戦争することの無い平和な国になったのである。
しかしまてよ。
日本が戦争を放棄しても、外国が戦争を放棄したわけでなし。
日本国民は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するとしても、国際社会の、とくに周辺国も日本と同じ正義と秩序を基調として平和を同じく誠実に希求するという保障もあるわけでなし。
武力を行使して自国の権利を拡大・確保しようとする国際紛争(戦争)など、古今東西いくらでもあったし、現在もあり、この先も起こり得るのは容易に想像がつく。
日本が巻き込まれないとする保障などどこにも無いこと。
日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してはくれないのではあるまいか?
日本とは異なる正義と秩序を”誠実に希求する”外国が、日本の領土などを侵略奪取しようとする場合やそうゆう事態への備えなどについては、日本国憲法は何も謳っていない。
外国から侵略を受けた場合は無抵抗で早速降伏して服従するとか、或いは一億死んだふりをして危険の去るのを待つのだとかも考えられようが、それでは最早国家足り得ないだろうから、いくら英文和訳の憲法とはいえ、自然権としての国家の自衛権までも否定したものではあるまい、という言わば条文行間の空所を読む解釈で、日本は「自衛隊」と称する武装組織を保持してきている。
外国の侵略から自国を防衛するための国家の武装組織を普通には「軍」あるいは「軍隊」と呼ぶであろう。
国によっては単に「ARMY」「NAVY」等でなく特別な名称を付けているところもあるようで、イスラエルなどは「Defense Forces(国防軍)」といい、英国なども「Royal Navy(王立海軍)」などと言ったりし、中国は「人民解放軍」と自称しているし、北朝鮮は「人民軍」と称する。日本は勿論「自衛隊(英語名はSelf-Defense Forces)」。
夫々”我が軍は、他国のいわゆる一般的な軍隊とは違うものである”のを強調しての名称であろうが、呼び名が違ったところでいずれも「軍隊」であることに違いはない。
そういえば日本軍は嘗ては「皇軍」などと称した。
他国のいわゆる軍隊とは違い、現人神である万世一系の天皇が統帥し賜う軍隊であり、八紘一宇、必勝不敗の皇軍であるからl降伏ということは有得ないと社会に喧伝され、為に先の大戦ではどれだけ多くの兵が無益に命を捨てたことだろうか。
実体を逸らし糊塗するような言葉の遊びに走るのは、時に罪作りであり危険ですらあろうか。
当たり前の話であり、馬鹿馬鹿しい話とでも思ってか、他所では”波紋”はあまり見ないようだが、朝日新聞は実体を見ずに言葉の表現にばかり拘って、「馬」を飽く迄「鹿」と呼ばせることで良しとするような姿勢であってはなるまい。
国民一人ひとりの生存に係る国家の安全保障に関しては、誤解や勝手な解釈を生まない明確な記述が憲法にあって然るべきであろう。
現行憲法に言葉の足りないところや誤解を生み易いような表現のところがあるのであれば、これを改正することを社会に提言してこそ、オピニオンリーダーたる全国紙新聞の社説というものではあるまいか。
自衛隊を軍と呼んだから大騒ぎしようなどという社説を書くようでは、現実軽視が目にあまる。
☆
◆◆◆引用:朝日新聞デジタル
(社説)「我が軍」発言 憲法軽視が目にあまる
2015年3月27日05時00分
安倍首相が参院予算委員会で自衛隊を「我が軍」と呼んだことが波紋を広げている。
自衛隊と他国軍との共同訓練について問われ、「『我が軍』の透明性を上げていくことにおいては、大きな成果を上げている」と答えた。
これが批判されると、菅官房長官は記者会見で「自衛隊は我が国の防衛を主たる任務としている。このような組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊の一つということだ」と述べ、首相発言を追認した。
だが歴代政府は「自衛隊は、通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としてきており、憲法上、自衛隊は軍隊ではない。
単なる呼び方の問題ではない。自衛隊の位置づけは憲法の根幹にかかわる。
首相が国会で「我が軍」と言い、官房長官が修正もせずに首相をかばうのは、憲法の尊重・擁護義務を負う者としてふさわしい所作ではなかろう。憲法によって権力を縛る立憲主義の原理をないがしろにするものと言わざるをえない。
たしかに国際的には自衛隊は軍隊の扱いを受けている。だがそれは自衛隊員が国際法上の保護を受けるためだ。他国軍との共同訓練に関する答弁だったとはいえ、国会では自衛隊と呼ぶのが当然ではないか。
憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認をはじめ、一連の安保法制の議論を通じて、安倍政権には憲法軽視の姿勢が際立っている。
日本の安保政策は、憲法との整合性を慎重に考えながら組み立てられてきた。9条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」としつつ、自衛隊が合憲とされるのは「自衛のための必要最小限度の実力は認められる」と解釈したからだ。
1967年に佐藤栄作首相が「自衛隊を、今後とも軍隊と呼称することはいたしません。はっきり申しておきます」と答弁した基本原則は、簡単に覆せるものではない。
内閣府の最新の調査では自衛隊に「良い印象」と答えた人が92・2%と過去最高になった。東日本大震災で黙々と作業に励む隊員たちの姿は、国民の目に焼き付いている。あえて軍と呼ばず、抑制的な姿勢に徹してきた自衛隊への評価の到達点ではないか。
持てる力をむやみに振り回さず、海外の紛争と一定の距離をとってきたからこそ、得てきた信頼がある。その確かな歩みの延長線上に、国民や国際社会の幅広い理解を得られる活動のあり方を描くべきだ。
◆◆◆引用終わり。
日本国憲法(注)は、戦争の放棄と戦力の不保持を謳った「平和憲法」とたしか学校で教わったろうか。
「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
国家としての交戦権を認めず、国際紛争での武力の行使を放棄し、陸海空軍その他の戦力を持たないのであるから、もう日本は永久に戦争することの無い平和な国になったのである。
しかしまてよ。
日本が戦争を放棄しても、外国が戦争を放棄したわけでなし。
日本国民は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するとしても、国際社会の、とくに周辺国も日本と同じ正義と秩序を基調として平和を同じく誠実に希求するという保障もあるわけでなし。
武力を行使して自国の権利を拡大・確保しようとする国際紛争(戦争)など、古今東西いくらでもあったし、現在もあり、この先も起こり得るのは容易に想像がつく。
日本が巻き込まれないとする保障などどこにも無いこと。
日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してはくれないのではあるまいか?
日本とは異なる正義と秩序を”誠実に希求する”外国が、日本の領土などを侵略奪取しようとする場合やそうゆう事態への備えなどについては、日本国憲法は何も謳っていない。
外国から侵略を受けた場合は無抵抗で早速降伏して服従するとか、或いは一億死んだふりをして危険の去るのを待つのだとかも考えられようが、それでは最早国家足り得ないだろうから、いくら英文和訳の憲法とはいえ、自然権としての国家の自衛権までも否定したものではあるまい、という言わば条文行間の空所を読む解釈で、日本は「自衛隊」と称する武装組織を保持してきている。
外国の侵略から自国を防衛するための国家の武装組織を普通には「軍」あるいは「軍隊」と呼ぶであろう。
国によっては単に「ARMY」「NAVY」等でなく特別な名称を付けているところもあるようで、イスラエルなどは「Defense Forces(国防軍)」といい、英国なども「Royal Navy(王立海軍)」などと言ったりし、中国は「人民解放軍」と自称しているし、北朝鮮は「人民軍」と称する。日本は勿論「自衛隊(英語名はSelf-Defense Forces)」。
夫々”我が軍は、他国のいわゆる一般的な軍隊とは違うものである”のを強調しての名称であろうが、呼び名が違ったところでいずれも「軍隊」であることに違いはない。
そういえば日本軍は嘗ては「皇軍」などと称した。
他国のいわゆる軍隊とは違い、現人神である万世一系の天皇が統帥し賜う軍隊であり、八紘一宇、必勝不敗の皇軍であるからl降伏ということは有得ないと社会に喧伝され、為に先の大戦ではどれだけ多くの兵が無益に命を捨てたことだろうか。
実体を逸らし糊塗するような言葉の遊びに走るのは、時に罪作りであり危険ですらあろうか。
当たり前の話であり、馬鹿馬鹿しい話とでも思ってか、他所では”波紋”はあまり見ないようだが、朝日新聞は実体を見ずに言葉の表現にばかり拘って、「馬」を飽く迄「鹿」と呼ばせることで良しとするような姿勢であってはなるまい。
国民一人ひとりの生存に係る国家の安全保障に関しては、誤解や勝手な解釈を生まない明確な記述が憲法にあって然るべきであろう。
現行憲法に言葉の足りないところや誤解を生み易いような表現のところがあるのであれば、これを改正することを社会に提言してこそ、オピニオンリーダーたる全国紙新聞の社説というものではあるまいか。
自衛隊を軍と呼んだから大騒ぎしようなどという社説を書くようでは、現実軽視が目にあまる。
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