久しぶりに海に出た。

 と言っても、夕方6時から2時間ほどの体験航海なのだが。

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 曇天であり8月とはいえ北緯47度58分の北の海であるから流石に少々寒かったのだが、潮の香を嗅ぎ海風を胸一杯吸えば気持ちは実に爽快で、やはり海はよい。

 機能の粋を集めた軍艦の美しさは格別なものがあるし客船・商船も其々によいのだが、船の中でも帆船というものには一種独特の雰囲気・匂いがある。

 この「Lady Washington」という船は1750年代に建造された帆船の復元船で、Washington州の州制100年記念事業として1989年3月に進水したものという。 原船は東岸ボストンで建造され、のち1787年に南米大陸南端のCape Hornを回って当地に回航され、この辺りの米大陸北西岸からハワイ、更にはアジア方面にと冒険的な交易航海を行っていたものという。 1791年にはなんと日本へも寄港したといい(寛政三年四月紀州藩紀州大島樫野浦)日本を訪れた史上最初のアメリカ船となっている。 その後もアジア・太平洋方面で交易航海を行っていたようだが、1797年7月にルソン島北部で失われているという。(Wiki他)

 「Lady Washington」の船名はGeorge Washington夫人に因んだものであり、Washington州の州名は初代大統領であるGeorge Washingtonに因んだものという縁である。

 GT(Gross Tonnageー重量トン)99t、排水量(Displacement)210tというフルスケールレプリカ木造帆船なのだが、乗船してみると思っていた以上に小さな船である。 木造船としては大型の部類になるのだろうし18世紀の当時としては堂々たる帆船だったのだろうが、よくこんなもので風だけを頼りに太平洋の怒涛を超えて行ったものだと感心する。

 甲板長67feet(20m)という上甲板にはブリッジなどといった構造物はなにも無く、完全露出甲板であるから洋上では上甲板の何処にいても風浪をマトモに被ることになる。 天候海象予報など無かった時代であるから、荒天に突っ込むことも度々あったことだろうか。 晴天であっても大洋にはうねりがあり波がある。高さ89feet(27m)というマストに登った時のその振幅というのはかなりなものであったろうか。  揺れだけでなく、ドーンと波が船体に当たるのであるから帆柱のてっぺんに居たら俺なんか一発で振り落とされてクラゲの餌になって終いそうである。 マストの先端まで潮飛沫を浴びるから船上は何処も滑り易いという楽しい職場である、帆船の水夫というのは腕っ節が強く、片手懸垂くらいホイホイ出来るようでなければ命が幾つあっても勤まらなかったことだろうか。

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 本船は10人程で運行しているが乗組み員の半数は女性であった。 プロレスで飯が食えるような逞しい水夫の「海の女」が帆走準備にスイスイとマストに登ってゆく。 さすがに18世紀の侭とはいかず高所作業時は命綱を付ける。 また小さな機関を装備しておりスムースな接岸出入港等を可能にしてある。 反乱を起こされては困るからだろうか?居住区ギャリーには立派な冷蔵庫もあった。 ちなみに食事は専任のシェフが調理しているという。 北はカナダから南はオレゴン州、カリフォルニア州辺りまで航海し寄港地での見学展示、一般体験航海や子供達を招待しての海の知識の啓蒙普及に活躍しているという。

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 当たり前ではあるが甲板上に動力装置はなにも無く、帆の展張・操作をはじめ甲板作業の全てはロープ(Rigging)を使っての人力作業である。 「手伝え!」と言うので恐る恐るロープを掴み逞しい水夫の尻など眺めながらロープを引くのだが、最近はもうトシで股間に力が入らないので手が痛くなるだけである。乗るんぢゃなかったw。 一人が体重をかけてロープを引き下げたところでピン(Belaying pin)に回してあるロープを甲板上で引きサッと固定するわけだが、本物の水夫たちは歌を歌ってリズムを付け皆の気を合わせて巧みに作業する。 あれは古い水夫の歌だろうか? ヨイトマケの歌でないことは解るのだが。

 潮風に吹かれてこんなことを毎日毎日やっていれば筋力は否応なしにつくだろうし、昔の帆船の水夫というのはケンカには滅法強く、偶の寄港上陸で思いっ切りあおる酒の味はさぞ甘かったことであろうか。

 帆船というものは甲板上何処もかしこもロープだらけだが、156本張ってあるというこれらRiggingの全長は3マイル(5000m弱)になるという。 使用を終えたロープ類は都度キチンと整理して所定の場所に置かれる。 ロープに足を引っ掛けたり踏んだりしないように注意して上甲板を歩く。

 Riggingの一本一本に名称があり役割があり操作法があるのだろうし、これを全て覚えるとなると帆船の水夫というのも大変だろうが体で覚えるものだろうか。 ロープの扱い方を一通りマスターした時点で一人前の船乗りというところだろうか。

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 「Lady Washington」は商船であり軍艦ではないのだが大砲を積んでいる。海には海賊もいれば寄港地の原住民も必ずしも友好的なばかりとは限るまい。一度海洋に出てしまえば自分たちの船を守るのは自分たちしかいない。

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 「3ポンド砲」とか言ってたが、先込め式の鉄球砲丸を火薬で発射するもの。タマは炸裂するものでないので要は「砲丸投げ」である。

 帆船の船長というのは、酒と潮に焼けた赤ら顔に見事な髭を生やし、片目に黒い眼帯くらい掛け懐からは隠し持ったラム酒の瓶口が覗いているものと思っていたのだが、意外にも若いスマートな船長であった。

 Tシャツにジーンズの船長であるが号令はさすがである。 花の応援団に勝る大声でテキパキと指示を出す。 Main-mastばかりか前方のFore-mastに登っている者にも明確に指示が伝わる必要があるし、風浪の激しい時にこそ明瞭確実に指示伝達が必要であるから風浪に負けぬ大声量が要る。 船乗り特に海軍士官などは常に号令調整に努め、疾風怒濤を掻き消す喉を鍛え作り上げておく必要がある。 これは通信機器の発達普及した今日でも「全電源喪失・全通信機器使用不能」の修羅場は有得るだろうし、最後にモノを言うのは鍛えた自分の喉である。 俺も酔っぱらった時には偶に大声で夜陰奇声を発して号令調整してるのだが。

 船長の号令は船乗り言葉のようで聞いていても意味が解らない。 日本語でも「取おり舵、面~舵一杯、ヨゥーソロー、ひとろくまるまる」等々と面妖な言葉をそれもt独特な抑揚を付けて船乗りは使うので別世界の業界用語である。 少しゆっくりな調子で抑揚を付ける船乗り言葉は風浪の中でも聞きやすく且つ聞き間違いの生じないよう長い船の歴史のなかで作られ、伝統が継承されてきたものなのであろう。 ちなみに「ヨゥーソロー」というのは「よう早漏!」でなく「宜しく候」という古い船乗り言葉なのだという。

 Lady Washingtonは1750年代の建造当初は1本マストのSloop船であったが、東洋マカオで2本マストのBrigに改造されたとWikiにはあるのだが、該船の調査・復元建造・管理運営にあたっている公益法人のGrays Harbor Historical Seaport Authority(GHHSA)では、1787年の米西岸回航の前に(米東岸で)2本マストのBrigに改造されたとの記述がありこちらのほうが正しい気もするのだが、いずれにせよ寛政三年(1791)四月紀州大島樫野沖に現れた時には2本マスト姿であったことになる。

 支那辺りで情報を集めたものだろうか、和国は鎖国中であり遭難漂着を装うのが良いとして僚船グレイス号と共に大島樫野沖に現れている。 紀州大島港には大阪・江戸間の廻船が避泊漂泊することも多かったと云い、大島山頂には廻船の安全航行や南蛮船など来てはいぬか?と見張る「遠見番所」が設けられていたという。 その遠見番所役人が描いたという絵が残っているようである。
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紀伊大島探検ガイドより。
 紀州藩大島遠見番所平遠見役中村主水であろうか。 「他にすることも無かったのか中村にしては珍しく居眠りもせず、なかなか良く観察しておるではないか」だろうか。 大筒は片舷4門づつで計8門見える。 古文書には「今夕七ツ頃大筒躰之鉄砲拾五六ならし右筒音ハ薬計之様二相聞候由」()とか。 威嚇で空砲発射したものか、或いは礼砲儀式のようなものが当時既にあった?のかだが。

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 獣皮を積んでおり日本で売ろうとしたようだが商売にはならなかったと云う。 島民が米などを持ってきてくれたといい該船上で共に飲食の交流もあったという。 朝日新聞もNHKも無かった時代であるから妙な先入観念を摺り込まされて煽られることも無く、人種は違えど海で生きる者同士の素朴で自然な交流であったろうか。

 紀州和歌山といえば、小学生の頃作並温泉で知り合い遊んでもらった二人の和歌山の大学生の方がいた。 暫くして再び仙台に来られた時に我が家に寄って下さり素敵なハーモニカを戴いたことがあった。 和歌山県人は皆いい人ばかり!

 「船主名堅徳力記」こと該船船長であったJohn Kendrickに因んだ「ケンドリック杯小中学生英語スピーチコンテスト」()なども行われているという。 感受性の鋭い年頃であるから発音など皆俺より上手そうだ。 俺だってパン食い競争なら負けない自信があるのだが。
 感受性の高い中学生の頃にこちらへ来たかったものである。 トシを取ってからだと一つ憶えると二つ忘れる。

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夏雲を背にSouth Guest Dockに舫う。

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船首像はGeorge Washington初代大統領夫人のMarthaということになるか。

 紀州藩の古文書なども残っているようで、古文書の読解にチャレンジされている方もおられるようである(古文書に親しむ)。 古文書など俺にはアラビア語でも見るようで解読など無理なので当時の原記録に触れることが出来るのは有難く且つ興味深い。

 検索すると該船について記した日本語サイトも色々出て来るが、日米交流史という壮大な研究テーマの中でこの件に触れ解説しているものがあった。 当時の背景なども理解出来て勉強になる。(日米交流

 俺も真面目になにか世に役に立つ記述でもすればよいのだが、そんな能力も無しそれより先ずは一杯となって終う。

 シーマンシップの涵養には帆船が一番なのだと聞くが、体験乗船してみると成程と思うところがある。 日本には「日本丸」「海王丸」という大型練習帆船があるわけだが、世界にもまだまだ沢山の帆船が活躍しており、海のある限り船のある限り白い総帆を上げて大洋を疾駆する帆船の姿が消えることはないであろう。
 帆船に乗り、買って来たラム酒の一瓶も空けた。 これで俺も海の男!

 沈着果断確実迅速。 スマートで目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り!

 Homme libre, toujours tu chériras la mer!

 Charles Baudelaireの「L'Homme et la mer」の始行だが、詩の訳というのも訳詩者の詩であろうから様々あってよいだろうが、俺には石渡幸二編集長が引用していたものが一番しっくり来る。
 
 自由の人よ、お前は永遠
に海を愛するだろう!
 
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Lady Washingtonの帆布。
同船を運営するGHHAより後日送って頂いたものである。 「おまい、切り盗ってきちゃだめだお」と言われる前に書いておく。