Bandoalphaのらく書き帳

故郷離れてはるばる千里、ひとつ山越しゃ他國の星がぁ・・・昭和の終末高齢者! 思い付いた時に思いついた事などのテキト~なメモ書きらく書き帳ですぅ。 桧野俊弘 ご意見メールは:Bandoalpha@msn.com

China

離島防衛

 夏が近いことを思わせる良い気候である。 緑を抜けて吹いてくる風が心地よく、空気が美味い。

 空気が美味しいというのも変な表現だが、こんな気持ちの良い緑の風が、子供の頃は仙台の街でも吹いていたように思う。 いつも見上げていた大きな欅の木も、近所の竹藪や雑木林も、かなり以前に消えてしまい今は高層マンションに変わってしまっているが、コンクリートの隙間を抜けて吹いてくる風というのでは、どうなのかだが。

 お騒がせなコロナウイルスだが、この辺は幸い小康状態にあるが、テキサスやフロリダなど南部の州等では感染者が増加傾向になっているところもあるのだという。 このウイルスは、暖かくなってくれば、日向の氷のように自然と消えてゆくインフルエンザとはやはり性質の異なるものなのであろう。

 中華人民共和国は、この武漢新型冠状病毒の蔓延にもかかわらず、尖閣諸島周辺に中国海警局の公船を連日送り込んでいたと言う。

 尖閣諸島は、中国が1971年12月になって、明朝の古代より争う余地の無い中華人民共和国の固有の領土である、と主張し始めたところである。(釣魚島は中国固有の領土である-白書訳文)(中国の「釣魚島白書」と領有権の主張

 海岸基線より12浬迄の領海から更に12浬先迄の接続水域は、犯罪の取締り等一定の主権の行使が認められている、言わば準領海とでも言うべき海域であるが、中国海警船の尖閣諸島接続水域内の航行は連日実施され、6月28日現在で78日連続の新記録となったといい、更に今も続いている。

 尖閣諸島の接続水域内を中国海警船が航行し「パトロール」するのが日常の事となってくれば、この先日本ではニュース性も無くなってくることであろうか。

 中国は、コロナ騒ぎの最中に、尖閣諸島に五星紅旗を高々と打ち立てるという目標に、歩みを一歩進めてきたことになる。

 中国海警船が尖閣諸島の日本領海内にまで侵入し航行するのは月に数回程度のようだが(中国公船等の動向ー海上保安庁)、5月8日には尖閣領海内で操業していた与那国町漁協所属の瑞宝丸(9.7t。金城船長以下3名乗組み)に対し、日本領海内に侵入してきた中国海警船が、退去を命じ、同船を追尾してきたという。 また、6月21日には、八重山漁協所属の漁船が尖閣接続水域で中国海警船による接近、追尾を受けていたと言う。(琉球新報

 何れも警戒中の海保の巡視船が間に割って入り、事無きを得たようだが、尖閣の日本領海内等で日本の漁船が中国海警船によって犯罪取締りの臨検を受け、船長等が逮捕され、中国本土の裁判所で中国の法により刑罰を受ける、ということが生じてくれば、尖閣諸島域は日本の完全な施政下にあるところとは、最早言えなくなってこよう。

 米国は、尖閣諸島は日米安保条約が適応されるところとしているが、その根拠は日米安保条約の第五条にある。
-ーーーーー
第五条
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
ーーーーー 
 日米安保条約は、「日本国の施政の下にある領域(in the territories under the administration of Japan)」への武力攻撃があった場合に発動となり、日米共同で対処することとしている。 単に日本の領土・領域とせず、「施政の下にある領域」としているのは、日本の領土・領域とした場合には、歯舞、色丹、国後、択捉や竹島の、領土係争地の問題が生じてしまう。 竹島などは米国は韓国とも防衛条約を結んでいる。 日本の領土・領域とせず、「日本国の施政の下にある領域」としたのは現実的な処理であったろう。

 「争う余地の無い中国の領土の不可分の一部である釣魚島およびその付属島嶼の主権を守るために断固として闘う」、と中国は宣っているのであるから、明日と言わず今日にでも人民解放軍を尖閣に上陸させて、日本の不当な窃取から尖閣諸島を解放してもよさそうなものだが、現状では自衛隊による反撃ばかりか、米軍も参戦してくることを想定せねばならず、ハードルが高すぎよう。

 先ずは、尖閣諸島領域の施政権は日本に帰属してるとは言い難い状況にして、米国の参戦根拠を排除する必要がある。 中国は今後、尖閣諸島域で日本漁船をターゲットとしてくることが予想されよう。

 尖閣諸島を行政区域とする石垣市の市議会は、尖閣諸島海域での漁船操業の安全確保要請の意見書を関係官庁あて出しているが、中国海警船に狙われる漁業者の不安は大きいであろう。 中国海警船に拿捕され、支那大陸に連行された挙句、日本政府との取引の餌にされて、トンデモな重刑を科されることなどは容易に想像できようか。

IshigakiIkenJunw2220
石垣市議会意見書・決議書

 米国が動かないことを確認した中国が、尖閣諸島を奪取するときが来たとして、日本が自衛権を発動して自衛隊と戦火を交えてしまうというのは、下策であり、自衛隊を出動させない状況を作為することを考えるであろう。

 自衛隊が勝手に作戦行動を起こすことは出来ないので、政治の決断の問題であるが、今後日本への政治工作、世論社会工作等を強化していくことであろう。 ことを急いで日本に急激な反中国感情を惹き起こしたのでは藪蛇なので、政治、経済、教育、マスコミ・・・あらゆる分野に時間も金もかけてジワジワと。

 自国の領土を守るか否かは、日本人の確固たる決意如何にかかっていることになる。

 いまから百年以上前の明治時代に、「南鳥島事件」という離島の領有権絡みの事件があったと言う。

 東裕一氏がこの事件の経緯を調べて、論文「南鳥島事件考察」を水交会の季刊誌「水交」に寄稿されているが、明治の日本人の毅然たる姿勢をそこに窺うことが出来、感動し、大変勉強になる。

 東裕一1佐(海自OB)は、海上自衛隊哨戒機のパイロットであった方で、飛行時間はP-2V、P-2J、P-3Cの哨戒機3代で、12600時間を超えたという。

 独立した日本の主権と、今日の繁栄を築きあげることを可能とした平和というのは、日々たゆまぬ防衛努力の上に成り立ったものである。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して平和を維持する、というのは理想であり目標ではあろうが、今日の日本の周辺諸国の動向には、残念乍ら理想にはほど遠いものがある。

 東1佐の、日本の安全保障への貢献に対し、一人の日本人として深く感謝申し上げたい。

 論文「南鳥島事件考察」掲載の御許しを東1佐よりいただいたので、以下に全文を掲載しておく。
感謝申し上げます。

☆南鳥島というのは、東京から遥か1850km、日本最東端の島である。
MinamitorishimaMap

⚓⚓⚓
HyoA


はじめに


 平成
24年 6月 28日に開かれた資源地質学 会で、東京大学大学院の加藤泰浩教授(地 球資源学)らの研究グループが、南鳥島の 南西約300㌔㍍の海底で、レアアースを 多く含む泥層を発見したことが報じられた。

 レアアースとはイットリウムやネオジムな どの元素で、金属材料に微量を添加するこ とでその性能が大幅にアップすると言われ、 磁石やLEDの原料、排気ガスの触媒など に無くてはならない資源である。


 わが国ではこの大部分を中国からの輸入
で得て来たが、22年9月の尖閣諸島での漁 船衝突事件以来、中国政府が対日輸出を制 限するなど、外交圧力に利用されている。 そのレアアースが、わが国の排他的経済 水域の中で、年間消費量の220年分も見 付かったと言うことから、水域の起点とな る南鳥島が一躍脚光を浴びることになった。 しかし、この島が太古からわが国の領土 として確定されていた訳ではない。明治の 先人達の慧眼と迅速な行動によって実効支 配を確立し、子孫に残してくれたのである。


 今から110年前の明治35年に発生した
南鳥島を巡る米国との領有権争いについて は、今ではメディアに取り上げられること は殆ど無くなったが、尖閣問題を機にここ で改めて振り返ってみたい。


.時代背景


 19世紀から20世紀初頭の約百年は、列強
による領土拡張の時代であった。アジアに おいても、インドネシアは1800年以来 オランダの植民地とされ、フランスは18 87年にベトナムを植民地化し、アメリカ は1898年にハワイ共和国を併合、さら にスペインの統治下にあったフィリピンを 買い受け、抵抗する原住民を武力を用いて 制圧し1902年に植民地化した。 一方幕末の混乱を自らの手で乗り切って 列強の植民地化をまぬがれたわが国では、日清戦争に勝利して手に入れた遼東半島を 三国干渉によって還付させられ、領土拡張 の野心を持って満州平野に進出して来たロ シアとの関係が険悪になりつつあった。 来るべきロシアとの戦闘を想定して、雪 中行軍の訓練をしていた陸軍青森歩兵第5 連隊が八甲田山で遭難し、一度に199名 もの凍死者を出したのが明治35(1902)年1月のことである。 海軍ではこの年の5月18日、英国で建造 した軍艦「三笠」が横須賀に到着した。 国内では、この前年、官鐡東海道本線に 接続する山陽鉄道㈱が下関まで全通、中央本線の笹子トンネルが開通するなど交通イ ンフラの整備、有線電信による通信インフ ラの整備なども急速に進められつつあった。


.海軍の世代交代


 戊辰戦争で江戸城無血開城を実現し、維
新後は海軍卿として明治海軍の創設に貢献 した勝安房守(海舟)は明治32(1899)年に76歳で世を去り、元は陸軍中将であり ながら三つの内閣で10年に亘って海軍大臣 を勤め、初の海軍元帥の称号を贈られた西 郷従道侯爵は病の床に臥していた。

 明治31年には、海軍兵学寮出身の山本權 兵衛(兵2)が西郷従道の推薦を受けて海 軍大臣となり、世代の交代は着実に進んで いた。


.外務省


 明治35年7月13日19時10分、ワシントン
の高平全権公使から、小村壽太郎外務大臣 に宛てて次の電報が届いた。


 新聞紙の報ずる所に拠れば「キャプテ
ン、ローズヒル氏は近頃合衆国政府より「マーカス」島に対する権利を允(ゆる)されたるを以て該島占領の為めに一隊を率ひて七月十一日布哇(ハワイ)「ホノルヽ」港出発の筈なりと言ふ  又同「キャプテン」は機械 整備のため殆ど十八ヶ月以前該島に立寄 りしに同地には日本政府より附與(ふよ)せられたる公文証書を所持せる日本人二十名許(ばかり)在留せりと言う

 日本政府にして若し該島の所有権を主 張せんとせば本使は其の趣を合衆国政府 に通告せんと欲す 然れども右の場合に は本使は其理由に付御通報を煩はしたし  而して同「キャプテン」に面会し詳細 の説明をなすが為めに直ちに軍艦一隻を 該島に派遣せられたし  右至急御返電を乞ふ (ふりがなは編集部で加筆:防研史料)


 ワシントンでの新聞報道によると、ロー
ズヒルという船長が、米国政府の許可を得 て南鳥島を占領するために7月11日に一隊 を率いてハワイを出航したと言うのである。 日本政府が南鳥島の領有権を主張するので あれば、公使みずからそのことを米国政府 に伝達するが、既に海上にあるローズヒル 船長には通信の手段が無いから、日本から 軍艦を派遣して同船長に詳細を説明するよ う助言して来たのである。


 この電報は海軍省へも回付された。


 
外務省ではこの高平公使からの電報に対 し、小村外務大臣の名で7月15日15時10分 発電で


 マーカス島(北緯二十四度十四分東経百
五十四度に在り)は、南鳥島と名付け小 笠原群島に編入した上、明治31年に東京府の管轄としたことを同年7月24日に公 示した。同島は数年前から水谷という本 邦人に貸し下げられ、同人は4~50名の 日本人を連れてこの島で魚や鳥の捕獲に 従事している。公使はこの事実を米国政 府に伝え、注意を喚起すると共に、既に 同島占領の許可を出してしまったのであ れば、無用の紛糾を避けるために速やか にこの許可を取り消すよう米国政府に勧 告するように (現代文に意訳)


との訓電を発した。第一報を得てから44時
間で、外務省としての方針を決定し、出先 に訓電しているのであるから、迅速な措置 と言える。


.日本での新聞報道


 明けて翌朝7月16日の東京朝日新聞にロ
ンドン発の次の記事が掲載された。

●米国の孤島占領計畫

 十四日倫敦(ロンドン)特約通信員發

  紐育(ニューヨーク)來電に依れば合衆國政府は近頃小笠原島の東南約五百哩にあるマーカス島 占領權を以てキャプテン、ローズヒル氏 の組織せる遠征隊に附與したり  然るに マニラを發し同島を經て桑港(サンフランシスコ)に歸着したる米國運送船シェリダン號の齎(もたら)せる報告を聞くに右遠征隊は其目的を達し得ざ りしものゝ如し  即ち同島には日本兵あ りて其司令官は日本政府より附與された る同島占領の命令を示してシェリダン號 の退去を命じたりと云ふにあり 之が爲 が国務卿ヘイ氏は東京駐紮(ママ)公使バック氏に打電して其報告を命じたり


 複数の情報を総合すると、日本兵の駐留
などという間違いはあるものの、米国籍の ローズヒルという野心家が帆船を仕立てて 南鳥島を占領しようと企んで出航したこと は間違いないものと判断された。


.海軍省軍務局


 海軍省軍務局第一課に勤務していた眞田
鶴松少佐(のち大佐:兵15)は、運用担当 者として、外務省、陸軍省、内閣法制局な どに頻繁に足を運びながら次々に発生する 問題を処理していた。 この時も、電報のや り取りを見て、まずローズヒルと言う人物 について情報を集めようと考え、外務省に 出向いて旧知の山座圓次郎通商局長に聞い てみたが、電報以上のことは分からない。


 
とりあえず、海軍として何が出来るか、 いや何をしなければならないかを書類にま とめて報告しようと軍用罫紙に向ったが、 相手の可能行動を考えれば考えるほど対応は急を要し、とにかく時間がない。


 
同少佐はこの事件から38年経った昭和15年の『有終』(海軍退役者の会有終会の機 関誌)に当時を振り返った手記を載せてい る。


 …私はこれを読んで驚いた。ここは無
人の一小島にすぎず、産物は椰子の実と 魚介類に過ぎないが当然日本の領土であ る。明治31年7月24日、東京府告示で同 府の管轄に編入したことを官報で告示し ている。 しかしこれを日本の領土とする 旨の国際的宣言をしなかったことに米国 人野心家が注目した。 ことは日本の国旗 問題である。 米国のスクーナーがいかに 貿易風に恵まれたとしても到着までには さらに旬日を要するであろう。 この際、 一軍艦を派遣してこの島に日本の国旗を たて、日本の領土であることを明確にし なければならない。

(『有終』昭和15年10月号意訳以下同じ)


 ホノルルから南鳥島までは、直線距離で
2,663海里、快速のスクーナー型帆船 が貿易風に恵まれたとしても平均速度8㌩ を維持することは困難である。 到着は7月25日以前になることは無いだろうと踏んで、 眞田少佐は次の報告書(スタンスペーパー) を起案した。


 米国商船船長「ローズヒル」氏は本国政
府より「マーカス」島を占領することの 允許(いんきょ)を得て七月十一日布哇(ハワイ)を出発し同島に向へり云々と 而して右占領計画は数 年前一たび同島を探検し同島に日本人数 十人在住することを確かめたる上にての 願出なりと

 同島は明治三十一年七月帝国東京府の管 轄に属せしめられたるものにして純然た る帝国の領土となりたるを以て其の当時 公然同島を日本領土に編入する旨を世界 に公布せらるゝこそ至当なりしならん乎(や)(小笠原島付属硫黄島の例是なり)東京 府の告示のみにては世界に対する公告と 謂(い)ふを得ず   然れども今日事実同島に日本人在住する 以上は日本の領土たることは断言し得る 所にして世界何人が之を争ふことを得ざ るものと信ず

 右七月十一日以後在米高平公使と我外務 省との間数回照復せられ米国政府及同国 の興論は同島を日本の領土と認むる旨の 傾向あり 否確と其の趣あるやに聞けり 然れども是れ総て七月十一日以後の事に 属す

 七月十一日布哇を発したる右米船長は電 信不通の海洋に於いて何ぞ右等の消息を 知るを得んや  必ず一意専心「マーカス」 島に米国国旗を樹つることを期するならん 其の機に至り同島に在る日本人を殺 戮する等のことは文明国人の性質に訴へ 萬々之れ無かるべきも之に退去を求むる 等の事は或は之あらん 然るときは是れ 由々敷国旗上の大問題なりとす

 この場合に於てこそ国旗保護は海軍の本 任務なるべしと思考す

 仮会米船が本国政府の意思の変更を知ら ずして一時錯誤に出でたる處置は後日之 を矯正するの道ありとするも一たび汚(けが)されたる国旗の汚点は除くべきにあらず且 つ国旗の汚されつゝあるを知りながら等 閑視するは国家海軍を置かれたる御主意 にあらざるべし

 依て此際高平公使来電の末文にある如く 至急一快走巡洋艦(位置と謂(い)ひ艦種と謂ひ笠置こそ適当ならん)を「マーカス」 島に派遣せしめられ帝国国旗保護の途を悉(つ)くされ可然と思考す (防研史料)


 文中、「国旗」との表現がたびたび出て
来るが、これは、国の旗という意味だけで はなく今で言う「国益」と考えた方が理解 し易い。この報告書は短時間で海軍大臣ま で回覧され、海軍の方針として決裁された。


 軍艦笠置は、明治31年秋に米国フィラデ
ルフィアのクランプ造船所で竣工し、英国 に回航、アームストロング社で備砲を搭載した防護巡洋艦である。レシプロ蒸気エン ジン2基で、15,500馬力を発揮し、 公試では、最高速度22・5ノットを記録してい るが、この時代には海洋生物の付着を減じ る船底塗料はなく、頻繁にドックに入れて 牡蠣ガラを落とさないと極端に燃料消費が 多くなる。笠置も数日中にドッグ入りを予 定していた。


横須賀から南鳥島までは、ちょうど1,000海里、巡航速力の10ノットで走っても4日と4時間を要し、帆船よりも先に同島に
到着するためのタイムリミットが刻々と迫っ て来る。

Kasagi


.西郷元帥の海軍葬


 病床に臥せていた元海軍大臣西郷従道伯
爵が、7月18日朝に亡くなり、7月22日に青山斎場で海軍葬が行われた。


 同氏の生前の功績から葬儀はかつてない
規模となり、葬列の先頭には警察の先導部 隊、次に陛下の特別の御沙汰で差遣された 近衛騎兵1個小隊、海軍軍楽隊、続いて陸 海軍儀仗歩兵隊、喪章を付けた砲6門を曳 く海軍砲隊、更に徒歩の五等爵の人々に続 いて柩を乗せた霊柩砲車が海軍儀仗兵に曳 かれ、最後に会葬者数百名が続いた。


 
海軍儀仗隊の指揮官は、軍艦笠置の艦長 である坂本一(はじめ)海軍大佐(兵7)が勤め、他に将校41名、下士以下1,014名が参 列した。(東京朝日新聞 明治35年7月23日)


.軍艦笠置への派遣命令


 軍務局の眞田少佐は、海軍葬の当日も朝
から外務省との調整に駆け回っていた。 米 国帆船との交渉がもつれる事を想定すれば、 軍艦の乗員が交渉の当事者となるよりも、 国際法と外交交渉に通じた外務職員を同行させて直接交渉にあたらせる方が適切であ る。その人選は外務省にまかせるとして、 海軍省では軍艦派遣に関する事務処理が大 詰に来ていた。国際問題の解決のために軍 艦を動かす権限は海軍大臣には無い。無論 外務大臣にも無い。ご裁可を仰がなければ ならないのである。


 
結果として眞田少佐の案のとおり、準備 出来次第笠置を派遣することが裁可され、 次の電報が発信された。


三十五年七月二十二日起案

貴艦は南鳥島へ派遣の所に付入渠を止め 石炭を満載し至急航海準備をせられたし 但し之が為め本日西郷元帥葬儀に出張の 貴官及貴艦乗員を中途呼返さるに及ばず

 三十五年七月二十二日  笠置艦長(あて)

(防研史料)


追い掛けるように、午前10時35分に


貴艦出航の日時予定次第速に報告せら
れたし

三十五年七月二十二日笠置艦長(あて)

(防研史料)


と発信されている。入渠準備をしていた
艦に速やかに出航時刻を知らせ…とは、相 手の立場も考えずに上級司令部が自分の都合を押しつけるのは昔も今も同じである。


 さて、緊急出航の命令を受けた笠置艦長
は海軍葬の儀仗隊指揮官である。一刻も早 く命令を伝達しなければならない。眞田少 佐が外務省から帰ると斎藤實次官が待ち構 えており

…斎藤次官は、私を迎えて「内命はす でに笠置に下した。笠置艦長坂本大佐は 儀仗兵の隊長として今、西郷家にいる。 君はただちに西郷家に行って事の詳細を 坂本艦長に伝えよ。君が乗る二人曳きの 人力車は既に玄関前に待たせてある。」 と命じた。


 事は急速に動いている。


 私が二人曳き人力車で目黒の西郷邸に
着くと葬列はすでに発進しつつあった。 坂本大佐は儀礼刀を抜いて右肩に添わせ 儀仗隊の先頭に立って青山斎場に向って 進んでいた。私は人力車を降り、坂本大 佐と並んで歩きながら、詳しく事の次第 を告げた。坂本大佐は大いに喜んで「そ うか、そうか、自分は今日の葬儀を終え 次第横須賀の笠置に帰艦する。委細準備 は副長がすでに行っており、汽缶には点 火しているだろうから、本日夕刻には必 ず横須賀を出発する。大臣閣下、次官閣 下に宜しく報告してくれ。」と言った。 (『有終』の記事意訳)


-続く―


南鳥島事件考察ー続き

.横須賀軍港


 笠置の留守を預かる副長黒井中佐は直ち
に出航準備にかかった。糧食、真水の外に 燃料の石炭が不可欠である。同艦の石炭の 満載量は千トンであるが、今は150トンしか 残っていない。航海日数を見積り、取り敢 えず750トンの石炭を積むことにした。海 軍省からの報告要求に対し


総務長官(あて) 笠置副長

電報 二十二日後一、七

大至急出艦準備を為しつゝあり 石炭七百五十噸積込む 明日午前中には 了(おわ)るべし 右終われば出航差支なき見込 但し未だ訓令は到達せず

(防研史料)


と返電した。石炭の搭載は極端な労働集約
作業である。しかし乗員の大部分は東京の 海軍葬に参列している。横須賀地区の人夫 をかき集めようとしたが、担当部署の係員 も葬儀で不在のため中々思うように人が集 まらない。ついつい泣きが入る。


二十二日後七時五〇分(海軍省)着 小栗秘書官(あて)
笠置副長

御書面拝見す 南鳥島に関する訓令及書 類未だ到着せず郵便局取調中なり 石炭積込の外總て準備整頓せり 石炭需品庫 の手配宜しからざる為めに人夫急に集ら ず 漸く四時過ぎより搭載を始めたり遺 憾に堪えず

兵員は儀仗隊に出せし為め機関部員の外 僅かに二十名残り居るに過きざる故充分 なる働を為し得ざるを憾(うら)む 今夜は徹夜して搭載する筈 現在高百五十噸 尚七 百五十噸搭載の見込 今夜非常の故障起 らざれば明朝午前一時頃迄には搭載を終 るべし 出艦時刻は艦長歸艦の上にあら ざれば決定すること能(あた)はず 先づ同時刻頃なるべし 便乗者は明早朝乗艦のこと 便宜ならん

(防研史料)


.対米折衝


 外務省では、ワシントンの高平公使を通
じ、また東京の米国公使館を訪れて、不断 の情報収集と外交折衝が行われた。


 ロシアが満州に兵を進めているこの時に
新たに米国とのトラブルは起したくない。 かと言って、わが国民が居住する南鳥島が 外国人に占領されようとしている現実を座 視することは出来ない。外務省としては事 態を拡大させずに終息させる方針を決定し 高平公使に伝えた。


高平公使の情報収集によれば、ローズヒル船長は1889年の航海中に南鳥島を発
見し、米国政府にそれを報告した。さらに 同島に堆積している鳥糞を採取して肥料に する事業の許可を申請したが、正式な申請 書類として取り上げられず、13年間何の音 沙汰も無いため、今回強く要請して政府の 占有許可を取り付けたことが判明した。 同公使は、マーカス島にはローズヒル船 長が来着する以前に日本人が同島に漂着し ていること、その後日本の事業者によって、 魚や羽毛の採取事業が行われ現在も継続し ていること、1898年にはこの島を東京 府の管轄にする旨の公示がなされたことを 説明し、米国人が発見した事実だけで米国 の属領とは出来ない、と正論を主張して占 有許可の取り消しを求めた。

(7月19日ワシントン発公電第54号意訳)


 米国は公論を重視する国である。明確な
記録は見付からないが、国務省との折衝と 並行して日本公使館から世論操作のために 有力な新聞社に働きかけたことは間違いな いであろう。ついにこの問題は国務省法律 顧問官の審議に附され、結論として在日本 米国公使に対し、ローズヒル船長に、日本 人居住者との衝突を避けるよう命令する訓 令を発信することとされた。もちろん南鳥 島に派遣される日本海軍の軍艦を通じてロー ズヒル船長に伝達することを見越しての処置である。


 この伝達と外交問題が生じた場合の処置
のために外務省の石井菊次郎書記官(のち 外務大臣)が笠置に同乗することとなった。 現在の海賊対処でソマリア沖に派遣される 護衛艦に海上保安官が同乗することに通じ る措置かも知れない。


 石井書記官は、出発の直前まで在日米国
公使と調整にあたり、米国公使からローズ ヒル船長に宛てた書簡を取り付けた。


10
.笠置出航


 笠置には結局、1,000トンの石炭が満
載された。出航準備が整ったのは7月23日午前9時である。石井外務書記官は、米国 公使との調整を終え、午後0時20分新橋発 の汽車で横須賀に向かった。


 同書記官の到着を待っている笠置にさら
に海軍省総務長官から次の電報が届いた。


外務大臣よりの依頼に依り南鳥島移住民に米十五俵及之に伴ふ味噌醬油を贈らる 右の品々其地に於て直に調弁し積込みあ
りたし 代価は後日当方より支辨す

(海軍総務長官から笠置艦長への電文)


 誰かの思い付きで突然指示された住民への「おみやげ」がどのように調達されたか
は分からないが、大急ぎで900キロの米 と味噌、醬油が午後2時までに笠置に積み 込まれた。 副長がまだ着かないとやきもきしていた 訓令も到着した。内容は次のとおりである。 (7月23日午前1時笠置受領)


三十五年七月二十二日起案 海総機密第二四三号


米国商船々長「ローズヒル」は本国政府 より允許を得て南鳥島を占領することの 許可を得たる旨外務大臣の通報に接す 該島は東京府の管轄に属し現に水谷某等 二十余人在住せり 貴艦は航海準備整ひ 次第同島に至り帝国領土及居住民保護の為慎重事を行ふべし

三十五年七月二十二日 笠置艦長 海軍大臣

追△( 一文字不明)

本件の為国際問題を惹起こされん様注意 すべきは勿論「ローズヒル」の一行に対 しては平穏の手順を取る事に注意すべし


 準備がすべて整い、笠置は7月23日午後
4時に横須賀を出航、一路南鳥島に向かっ た。第一報を得てから丁度10日目である。


11
.南鳥島


 南鳥島は、長辺が1,500メートルほどの二
等辺三角形の珊瑚礁である。 20万年ほど前 に海底が隆起して島になったと言われる。 面積は1・51平方キロメートル、(良く使われる表 現に従えば東京ドームの32倍)標高は最高 点でも海抜9メートルしかない。


 井戸を掘っても真水は得られず、飲料水
は天水を貯めて使っている。明治時代には 島の南西部に2ヘクタールほどの樹林があり、一千 本ほどの椰子が茂っていたと記録されてい る。雨が少ないためその外には、大きな樹 木は育たず、モンパと呼ばれる低い灌木が 地面を覆っている。


 島には天敵がいないため、この時代には、
軍艦鳥やカツオ鳥などが一年中島に住んで おり、その外に、秋になるとおびただしい 数(足の踏み場も無いほど)のアホウ鳥が 飛来し、翌年の春まで営巣して子を育て、 再び太平洋のどこかへ飛び去って行った。


 アホウ鳥は人を恐れないため、棍棒一本
で簡単に撲殺できた。明治時代には、この 大型の鳥を捕獲して羽毛を採取し、羽根布 団の原料として、また小型の鳥は剥製に加 工し装飾品として、ヨーロッパ方面に輸出 することが一つの産業として根付いており、 この時には29人の日本人が島に居住してこ の作業に就いていた。


12
.笠置の航海


 笠置は、東京湾を出て野島崎を過ぎると
進路を南鳥島に定めた。坂本艦長が得た情 報によれば、ホノルルから南鳥島に向かっ ている米帆船「ジュリア・イー・ウォーレ ンス」号は、過去のサンフランシスコから ハワイに至る航海で、平均時速6ノットを記録 したという。その速度を当てはめれば、18日半ほどで南鳥島に到着することになり、その日付は7月29日となる。笠置はそれ以 前に南鳥島に到着しなければ上陸された後 では面倒な交渉が増えることになる。


 本艦の経済速力は10ノットであるが、前回の
入渠から8ヶ月を経て船底には多くの海藻 や牡蠣がこびり付き、その速度を維持する のも容易ではない。笠置の機関はレシプロ 蒸気機関である。構造は蒸気機関車のエン ジンと同じで、速度を上げると石炭の消費 が加速度的に増える。それを我慢して罐に 石炭を放り込み放り込み、ついに7月27日 午後6時に南鳥島に着いた。平均速度は丁 度10ノットである。


 太陽は西の空に沈んだばかりでまだ明る
い。目を凝らして島の隅々まで眺めても星 条旗は見えない。付近の海面に帆船のマス トも見えない。艦長は安堵してその夜は島 の風下側で漂泊した。


13
.南鳥島への上陸・駐屯


 翌朝、日出とともに航進を起し、島の周
囲を回って地勢を調査した。三角形の島の 外側100~200メートルほどに島を取り巻く 形でリーフがあり、本艦では内側には入れ ない。その外側は、急に深くなって錨は打 てない。島の南側に僅かにリーフの切れ間 があり、小船が達着できる。そこに短艇を 着けて士官を上陸させた。島の住民に聞き 取り調査をしたが、米国の帆船が来着した 兆候は見られなかった。

 

 笠置は沖合に漂泊し、積んで来た荷物の 陸揚げにかかった。最初に外務大臣から預 かって来た米・味噌・醤油を運び、住民の 代表者に引き渡して感謝された。続いて基 地を開設するためあらかじめ準備した資材 を陸揚げし、多くの乗員と居住者の協力に よって、間口六間、奥行き三間( 10.8メートルX5.4メートル)程の営舎を建設した。


 艦は漂泊していても自艦の位置を保つた
めに常に罐の蒸気圧を上げて置かなければ ならず石炭を消費する。坂本艦長は、笠置 がいつまで漂泊出来るかを計算させた。横 須賀で急いで積み込んだ石炭の中に品質の 悪い物が混ざっており、往路の石炭消費が 予想外に多かった。検討の結果、この日(28日)一日を資材の陸揚げと調査に費や し、翌29日には南鳥島を離れないと復路の 石炭が不足する恐れが出て来た。


 艦長は、米国帆船に対抗するために陸上
部隊を編成して島に残すことを決心し、海 軍中尉秋元秀太郎(兵26)に隊長を命じた。 さらに乗員の中から看護員、信号員、大工 を各1名、屈強な下士卒13名を選んで小銃 で武装させ秋元の指揮下に入れた。 彼らに2か月分の食糧と短艇、海水の蒸 留造水器や測量器材を残して笠置は7月29日正午に南鳥島を離れた。 明治海軍の偉いところは、たった一人の 海軍中尉に国家の運命を託する態度である。 今、同じ状況が発生したら誰を島に残すで あろうか。


 坂本艦長は島を離れる前に秋元中尉に次
の細部事項を書面で指示している。


一 米国商船船長「ローズヒル」が来着
したならば、東京駐在の米国全権公使 の書簡と外務書記官石井菊次郎の書簡 を同人に渡すこと

一 もしこれらの書簡を米国船長に渡し ても帆船を出発させる様子が伺えない 時は直ちに出発するよう同人に請求す ること 但し船舶の修理等のため一時滞在の要求があった時は勉めて便宜を 与えること

一 島への上陸を要求されても許可して はならない。もし船長から健康保持の ため船員の上陸を要求された場合には、 一回5名以下に限り、かつ監督者を付 けることを条件に許可しても良い。

一 次の16名を貴官の指揮下に入れて滞 在させる。(固有名詞は省略) 一等兵曹1名、二等看護手1名、一等 水兵5名、一等信号兵1名、二等水兵 6名、三等水兵1名、三等木工1名


 笠置は、8月3日午後0時15分に横須賀に帰着しその任務を解かれた。


14
.米国帆船への退去要求


 以下秋元中尉から海軍大臣に提出された
「南鳥島に関する報告」を元に構成する。


 笠置が南鳥島を離れた翌日、7月30日午前11時に米国の帆船が来着した。秋元中尉
は海岸に近づいた同船に対し、「止まれ 我汝と交渉すべき件あり」の国際信号を送っ て、用意させた短艇に乗り、同船に向かっ た。その途中で先方も短艇を降ろして別の 海岸に向かうのが見えたので急いで船着き 場に戻って陸上で3名の米国人と会合した。


 彼らの持参した教書から、1名は船長の
ローズヒル、他の2名は、地質動植物研究 のため今回特に帆船に便乗して来た米国農 務省特派のセドウィック博士とビショップ 博物館のブライアン博士で、本年7月10日 (日本時間11日)にホノルルを出港した船 に間違いないことを確認した。 3人を営舎に入れ、石井外務書記官から 預かった書簡をローズヒル船長に渡した。次いで秋元中尉がこの島に滞留している理 由を説明した上で船長に対し、すぐに出帆 するよう退去要求を行った。


 船長らは、当初、米国政府から与えられ
た自らの権利を主張したが、渡された書簡 に目を通すと、その権利を取消されたこと が分かり、明らかに落胆した様子が見てとれた。 しばらく米国人3人で打ち合わせて いたが、これから海上が荒れ模様となるこ と、乗員の健康維持のために一時上陸が必 要であること、両博士の研究もある程度実 施したいことを理由に上げ、何日か島の周 りで帆船を漂泊させたい旨を要求して来た。


 秋元中尉はこれを呑んだ。坂本艦長の指
示どおり、乗員の上陸は一度に5名以下と し、責任者を付けることを条件に許可した。 2名の学者には当時空家になっていた住居 を清掃し、住民の中から選んだ世話人を付 けて、1週間の滞島を許可した。 出帆の予定日は8月6日であったが、こ の日は風波が強く、短艇の達着が困難で、 1日遅れの7日午前9時に両博士が島を離 れ、10時に「ウォーレンス」号はホノルルに向け出帆した。


 秋元中尉は使命を完遂した。領土の争奪
にありがちな武力衝突を避け、すべて平和 裏にことを進めてわが国最東南端の領土と 住民を護った。


 当時は陸戦隊という呼び名はまだ無かっ
たが、事実上の陸戦隊となった17名は、迎 えに来た軍艦高千穗に乗って8月29日に南 鳥島を離れ、父島経由9月5日に横須賀に 無事帰着した。南鳥島での生活は32日に及 んだ。


15
.秋元中尉のもう一つの功績


 秋元中尉が在島中に成し遂げた仕事で後
世に残したもう一つの大きな功績がある。それは南鳥島の地図を作成したことと、位 置(緯度経度)を確定したことである。


 当時の海図の精度は粗く、特に絶海の孤島の場合にはその緯度経度には信頼が置けなかった。秋元中尉は昼夜にわたって天測
を繰り返し、島の位置を確定した。同時に 部下を指導しながら島の測量を行って略測 図を完成させた。この地図では島の南西端 から時計回りに「笠置崎」、「黒井崎」、 「坂本崎」と艦名と艦長、副長の名字を名 づけ、この名称は現在でも使われている。


 横須賀帰投後、海軍大臣への文書で、北
緯24度17分東経153度59分と報告された緯度経度と島の地図は、その後海軍公認と なり、明治37年2月海軍水路部発行の海図 第73号には、「本図は明治35年軍艦笠置乗 組海軍中尉秋元秀太郎略測に係る」と明記 されている。


 この時に秋元中尉が確定した緯度経度を
現在の国土地理院が人工衛星を使って位置 決めをした最新の2万5千分の一地図に当 てはめて見ると、ちゃんと島の南東部分に 入っている。(下図参照)
 
正確な時計の無かった明治35年の天測で ある。六分儀を使った経験をお持ちの方な らその困難性が十分理解できると思うが、見事と言うほかない。

MapA

MapAkimoto

PicIs


おわりに


 新聞情報によれば、米帆船「ウォーレン
ス」号にはモーゼル銃で武装させた私兵の 一隊を乗せていたという。また農務省派遣の博士は40種類におよぶ農産物の種子を持 参していた。このことからも、ローズヒル の一行が南鳥島の永久占領を企図していた ことは明らかである。


 また、「ウォーレンス」号の関係者がホ
ノルルの新聞記者に語ったところによれば、南鳥島に到着後、アメリカ政府から発行さ れた許可書を根拠に強硬に上陸を求め、住 民から拒否された場合には、一旦引き下がっ たと見せかけるために、島から見えない距 離まで船を離し、暗夜に乗じて銃隊を強行 上陸させて島に星条旗を打ち立てるという手順が定められていたと言う。


 もし笠置の特設陸戦隊が先行駐留してい
なければ、 29人の住民の運命はもっと悲惨 なものになっていたかも知れない。


 明治の先人たちが見せた領土保全に対す
る迷いのない決断、迅速な行動に感謝しな ければならない。


 南鳥島は、その後陸海軍の基地が建設さ
れ、大東亜戦争では本土防衛の最前線となっ たが、連合軍の上陸は免れた。その代り、 艦載機による爆撃が繰り返され、島の自然 は一変した。今は一羽のアホウ鳥も来ない。


 筆者は、現役時代、P‐2Jの操縦士と
して物資の補給や人員輸送で、また幕僚の 時には部隊視察等で何度も南鳥島を訪れた。 数時間の洋上飛行の末にようやく見えてく る南鳥島は白いサンゴ礁に囲まれた美しい 緑の島で、いつ見てもほっとする。


 今から110年前に起こった南鳥島事件
は今では知る人も少ないが、佐野純弘会員 が昭和15年の有終会の機関誌『有終』に掲 載された眞田大佐の記事を発掘、紹介して くれた。調べて行く内に、防衛研究所に多 くの史料が残っていることが分かり、本稿 の執筆に至った。尖閣問題を考える上で読 者のご参考になれば幸いである。


(ひがしひろかず
航学17期)

⚓⚓⚓<水交 25ー新春号>


米中貿易摩擦とか

 かつては日米貿易不均衡で日本車が米自動車製造業組合員などにハンマーで叩かれたりしていたことがあったようだが、今は対中貿易が米国の貿易不均衡の最大の問題となっている。

 なるほど米中貿易は2000年代に入り貿易不均衡が急拡大して来ており、2017年は米国の対中輸出が$130bなのに対し、中国の対米輸出は$506bにまで達しており、貿易赤字は過去最大の$375bほど(3750億ドル、今日の為替だと日本円で41兆6千億強)に迄なっている。

USchinatrade

 国際貿易は2国間であまりに極端な貿易不均衡が生じてくると、どうしても不満が生じ遂には’爆発”して今回のような「中国の輸入品には高率関税を課す。」などということになり、相手もすぐに折れるわけにはいかないので対抗措置を打ち出し、”貿易戦争”へと突入する。 

 結局は貿易不均衡の是正措置がとられることになり、長期展望ではプラス要因とも考えられるが、短期的には米中貿易の後退は世界の経済活動にとってマイナス要因であろうが、これはどちらか弱いほうが折れて解決策を執る迄続くことになろう。

 中東の産油国と相手国への特段の輸出品を持たない非産油国間貿易などでは貿易不均衡というのは否応なく生じるとしても、特に構造的な問題も持たない2国間貿易では、極端な不均衡に陥らないように上手くコントロールしてゆくことが、長期的な相互互恵・経済相互発展につなげてゆくキーポイントであろう。
 
 近年になってからの米中貿易不均衡の巨大化は、「米国の我慢の限界を超える」「今度の変わり者(トランプ大統領)はそれを放置しない」との事前警告は中国にも聞こえていたことだろうが、先知れぬ長期的利益などよりも「目先の利益を取るだけ取り自国の経済発展を遂げる」ことに、どうしてもなっていたろうか。

 ”美国是商売容易、安けりゃなんぼでも売れる、大中国是人口世界一低賃金的大量産格安大販売、美国市場の稼ぎで中国経済大発展アルヨ、軍備投資大拡張近々世界是中国中心的、自由経済?互恵?バカぢゃねのw、痴呆美国是絶望号泣的ブギャ~”というのでは今日の事態になるのは自明の理であったろうに、”美国爆発キタ~ッ!”となるまで無策で突っ走ったのは支那の近平もいただけないが、早期に習絶対権力体制を確立するためには高度経済成長の維持が欠かせない。他に方策は無かったと言うところだろうか。

 米国のマーケットに見られる中国輸入品というのは、コンピュータ関連、セルフォーン(携帯)そして衣料品や靴で過半を占め、その他家庭用電気製品などであるが、いずれも代替生産国はあり、「MADE IN CHINA」の利点というのは価格が安いことだけである。

 米中貿易戦争でオレの愛用する「低価格帯商品」の物価が上がったり、経済が多少低迷することがあるかも知れないが、オレは以前から支那製品は買わないようにしているので特段の問題は感じない。

 同じ中国輸入品でも台湾製には好品感を持っており、買うようにしているが。

中国国産空母

上海でとか、大連で建造中とか、両所で同時建造中とか長らく話は出ていた「遼寧」に続く2隻目の中国空母だが、中国国防部記者会見で大連にて現在建造中と確認したとのニュース。

通常動力、排水量5万トンの中国設計による国産艦とのことだが、「遼寧」改造で空母に関するノウハウを持つ大連での建造というのは妥当だろう。

「遼寧」とほぼ同じサイズの空母のようだが、スキージャンプ発艦方式は離艦機体重量に制限があり、ミサイルや爆弾などの搭載量を制限したり或いは搭載燃料を減らして発艦後に空中給油を受けるなどの運用制限があり、艦の構造上スキージャンプは1基しか設置出来ないので第一発艦に時間を要してしまう。

解決策はやはりカタパルトしかないだろうし、中国のカタパルトの開発・実用化が西太平洋で米海軍に対抗し得る本格的空母運用のキーになるだろうか。

東アジア諸国で戦闘攻撃機を搭載出来るような空母を保有できる国は無いので、中国の空母機動部隊建設というのは、東支那海・南支那海を事実上の中国の領海とすることを保障するものになるのであろう。

 時は20XX年、沖縄での「琉球国独立運動」が盛んとなり沖縄の治安は騒然。
日米安保条約で謳う武力攻撃事態ではないので米国も傍観するほかなく、人権と人間の自由を世界で最も尊ぶ国である中華人民共和国としては、本来中国との関係が深い独立国である琉球への日本政府による自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにした過酷凄惨な、さながら嘗ての南京大屠殺を彷彿とさせる琉球人民への弾圧を看過することは出来ず、ここに空母機動部隊を派遣して日本政府による琉球人民への人権弾圧に繋がる日本本土からの一切の海上・航空輸送路を遮断、小日本自衛隊の戦力も蹴散らして排除、日本政府による琉球人民弾圧奴隷化の企てを見事に完全粉砕し、ここに中国の冊封国である琉球人民共和国が’成立。 
これで釣魚諸島領土問題も東支那海の第一列島線防衛ラインも見事解決・・・
 中国共産党政府の権力者や人民解放軍高級幹部の初夢だろうか(苦笑)。

◆◆◆引用:読売新聞ネット
中国が初の国産空母、大連で建造…5万トン級

【北京=蒔田一彦】中国国防省の楊宇軍報道官は31日の定例記者会見で、中国初の国産空母を遼寧省大連で建造していると発表した。       

国産空母の建造を中国政府が公式に認めたのは初めて。完成すれば、2012年就役の「遼寧」に次ぐ中国軍2隻目の空母となる。

 発表によると、建造中の空母は排水量5万トン級の通常動力型。楊氏は「我が国の自主開発・設計で完成させる」と「国産」である点を強調し、「国家の海上安全の防衛、領海の主権と海洋権益の保護は中国軍の神聖な職責だ」と述べ、空母の建造を正当化した。「遼寧」は、建造中だった船体を中国がウクライナから引き取って改修していた。

 中国軍は20年までに、空母と護衛艦艇、潜水艦などで構成する「空母戦闘群」の3個編成を目指している。中国が海軍力の強化を背景に、東シナ海や南シナ海を巡って対立する周辺国に対し、一層の強硬姿勢に出ることが懸念される。

2015年12月31日 19時43分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/world/20151231-OYT1T50097.html?from=ytop_main5
◆◆◆

◆◆◆引用:中国国防部12月31日例行記者会

Q: According to media reports, the second aircraft carrier of China is being built. Could you please confirm and share with us more information? The second question is on the Liaoning Aircraft Carrier. What progress has been made during its scientific test and training? You yourself said before that the aircraft carrier was not a homeboy and, one day, it will sail into the far seas. My question is that, in 2016, is there any plan for the Liaoning aircraft carrier to conduct training in far seas?

A:On the 1st question, China always adheres to the path of peaceful development, and firmly upholds an independent foreign policy of peace and a defensive national defense policy. We have a long coast line and a vast maritime area under jurisdiction. To safeguard maritime security, sovereignty, and interests and rights is the sacred mission of the Chinese armed forces. We all know that Liaoning is the 1st aircraft carrier of China. Taking various factors into consideration, relevant authority started the research and development of China’s second aircraft carrier, which is currently under independent design and construction.

Since the Liaoning Aircraft Carrier was commissioned, it has been conducting scientific test and military training in accordance with plan. As to what kind of training it will conduct in the next step, it depends on the needs of the tasks.

Q: Could you please share with us more information of the basic technological and tactical capabilities of the second aircraft carrier as well as the weapons and equipment that will be installed?

A:As far as I know, the second aircraft carrier is designed independently by China and is being built in Dalian. It has a conventional power plant with a displacement of 50,000 tons. It will carry J-15 fighter jets and other ship-based aircraft, and the fixed-wing aircraft on-board will adopt ski-jump take-off mode. Various types of equipment will be installed to meet the needs of fulfilling its missions.

The design and construction of the second aircraft carrier, having drawn on a lot of useful experience from the scientific tests and training of the first aircraft carrier, Liaoning, will have new improvements in many aspects. In the future, we’ll continue to offer relevant information.

Q: According to the U.S. media, China for the first time has started using its nuclear submarines for maritime patrol, which will enable China to have the second nuclear strike capability. What is your comment?

A: I think the report by foreign media is purely media hype.

Q: How’s the building of China’s second aircraft carrier going? What is the timetable for building this aircraft carrier and when will it be commissioned? It was reported that China would build the third aircraft carrier. Do you have any information to share?

A:The second aircraft carrier is currently at the stage of design and construction. As to future work, it depends on the progress in its design and construction. As to the long-term development of China’s aircraft carriers, relevant authorities will take various factors into consideration in making decisions.

Defense Ministry's regular press conference on Dec.31
http://eng.mod.gov.cn/Press/2015-12/31/content_4634720.htm
◆◆◆

東支那海の海底資源開発、そして軍事利用

日中間に横たわる東支那海には、中東地域のような大規模な埋蔵石油資源があるとの話も1970年代にはあったようだが、当時の調査精度には限界もあったようで、現在では埋蔵石油の量はさほどでもなく、むしろ天然ガスの埋蔵量に開発の感心は向いているようである。

尤も、日本は試探掘井一本掘っていないので、もっぱら中国側の話であるが。

東支那海の石油や天然ガスの埋蔵量については、平成18年4月24日の第164回国会行政監視委員会で、参考人として呼ばれた資源エネルギー庁次長の細野哲弘氏の答弁が日本での”公開資料”の最新情報であるようである。

お答え申し上げます。
 今お尋ねの尖閣諸島付近の石油あるいはガスの埋蔵量でございます。
 この付近を含みます東シナ海につきましては、結論から申し上げますと、今先生御指摘のとおり、相当量の石油天然ガスが賦存している可能性が高いものと我々も認識をしております。
 今お話がありましたように、実際掘ってみないと分からないというところは事の性格上あるわけでございますけれども、平成六年に石油審議会の開発部会というところで、技術委員会で検討いたしました。そこの技術専門委員会でのあくまでの推定でございますけれども、その結果、東シナ海の中間線、日本側及び沖縄周辺海域における石油あるいは天然ガスの埋蔵量あるいは賦存資源量というものは石油換算いたしまして約五億キロリットルぐらいあるんじゃなかろうかと、そういうような推定が出ております。


高級官僚の立派に長い答弁であるが、要は「中間線より日本側にある資源は天然ガスも石油換算して、推定で計5億kl程度の埋蔵量です」ということのようだ。

天然ガスと石油の内訳もないので、これではいま一つよく解らない。

EIA(US Energy Information Administration)の資料などを眺めると、中国は、東支那海全域の資源埋蔵量は、石油が「70~160 Billion Barels」、天然ガスが「250 Tcf(Trillion Cubic Feet)」に達する可能性があると言っているようであるが、EIAの推定では、石油は「200 Million Barels」程度、天然ガスは「1~2 Tcf、これを相当上回る存在可能性有り」としている。

EIAによると、東支那海の海底油田は2億バーレル程度の埋蔵量であるから、近年微減している日本の年間原油輸入量12億バーレル強に比べても、まあ大したものではない。

日中中間線に沿って12基ほど開設されている中国の採取リグも、石油採取用は平湖(Pinghu)のリグが石油・天然ガス兼用なだけで、残りは全て天然ガス採取用のようである。

1980年代に開発が開始されたという平湖の石油産出量は、EIAによれば1990年代末の日量8千~1万バーレル程がピークだったようで、近年は日量400バーレル程に落ち着いているというから、”おいしいところはもう取り尽した”というところだろうか。

採取した石油と天然ガスの平湖から中国本土への移送用に、石油パイプラインが寧波に、天然ガスのパイプラインが上海に、と設置されている。

最近英系企業と合弁で開発中の、台湾北部海域の「LS36-1(Vicky-1)」から中国本土温州(Wenzhou)に天然ガス・パイプラインが設置されているというが、他には海底パイプラインの設置というのは見当たらないので、東支那海中央部で採取した天然ガスというのは、平湖経由で上海に移送しているものなのであろう。

この平湖から中国本土へのパイプライン開設には、アジア開発銀行や国際協力銀行を通じて1億2千万ドル余の日本の資金の融資があったというのが面白い。(

東支那海の主たる天然資源である天然ガスだが、EIAによれば2 Tcf以上であるから、少なくとも566億㎥の埋蔵量はあり、沖縄トラフ域に更に相当大規模な埋蔵量が存在する可能性があるという。

沖縄トラフとは沖縄西方の深度1,000mほどの海底の溝(最深部2,716m)だが、最近の海底資源掘削技術は水深2~3,000mでも採取可能になっているといい、可採埋蔵量などで採算が取れるようであれば、採取するのに技術的問題はないようである。

俺も穴を掘るのは嫌いでないのだが、それにしても海中千mとか2千とか3千mまで掘削し、垂直坑ばかりか横にもパイプを延ばして石油や天然ガスを採取するという最近の掘削技術の進歩には驚くばかりである。(参考pdf

中国筋公表値で主なガス田の確認埋蔵量は、春暁(Chunxiao)735Bcf、天外天(Tianwaitian)444Bcf、残雪(Canue)450Bcf、断橋(Duanqiao)75Bcfと言った数字がみえる。(参考pdf

巨大なエネルギー消費国となった中国は勿論、日本でも石油と違って天然ガスの需要は年々伸びているといい、沖縄トラフの天然ガス田でも開発すれば、日本全土は無理としても、沖縄と九州辺りのガス需要ならば十分満たせるようにも思うが?

中国は、尖閣諸島が中国領であるのはもちろん、沖縄トラフまでを中国のEEZと主張し、東支那海上空にはADIZ(防空識別圏)を設けて、ADIZ内で中国軍の指示に従わないものには必要な防御的緊急処置を取る(三、位于东海防空识别区飞行的航空器,应当服从东海防空识别区管理机构或其授权单位的指令。对不配合识别或者拒不服从指令的航空器,中国武装力量将采取防御性紧急处置措施。)としている。

過去には東支那海で日本の護衛艦に対して中国軍艦が射撃レーダーを照射したり、艦載ヘリを護衛艦に異常接近飛行させるようなことも行っている。

中国は日本にとって最大の貿易相手国であろう。

中国の主張するEEZ海域内で日本が試掘なりを行った場合には、相当強い中国の反発が予想され、日中関係が悪化して経済問題と安全保障上の問題惹起が明らかに予想される以上、過去にもそれは出来かねたし、今後も出来ないのであろう。

東支那海はその名のとおり、中国の海と事実上なりつつあるのが現実の姿だろうか。

正義とか毅然とした主張とかは、徒に経済的損失と安全保障上の緊張を招くだけで何の得にもならない、と言うのも一理だろうが、やはり、おかしな事はそれはおかしいと指摘したり、行動が出来なければ、日本人の精神は更に病んでゆき、長期的には目先の利益よりも遥かに大きなものを国家として失っていくように思うのだが。

EastChinaSeaCJ
業界紙には最近12箇所に増えたという中国ガス田開発状況が出ているようである。
漢字の解る所は書き加えた。



東支那海の日中中間線附近には海底天燃ガス採掘用のリグを中国は多数設置しているわけだが、南支那海のリーフ埋め立てみたいに此処に滑走路を作る事は難しいとしても、今後このプラットフォームに警戒レーダーなどを設置して軍事利用化する可能性は十分考えられよう。

◆◆◆引用NHK
防衛相 「中国 ガス田を安保目的で利用の可能性」
7月10日 15時52分

中谷防衛大臣は、安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会で、中国が東シナ海で新たなガス田の開発を進めていることに関連して、中国がガス田の施設を安全保障目的で利用する可能性もあるという認識を示しました。
この中で中谷防衛大臣は、中国がおととし以降、東シナ海の日中中間線の中国側で新たなガス田の開発を進めていることに関連して、「中国が設定した『防空識別区』には、地上レーダーが届かない区域があり、プラットホームのレーダー配備により地上レーダーの補完が可能となる。ヘリパッドとして活用して空中偵察などのために、ヘリコプターや無人機の展開拠点として利用する可能性もある」と述べました。
そのうえで中谷大臣は、「中国が安全保障面での利用を進めた場合、東シナ海における中国の警戒監視能力などが向上し、自衛隊の活動などが従来よりも把握される可能性がある」と述べました。また、安倍総理大臣は、「新たなプラットホームの建設を含めて、一方的な開発を進めていることに対し、中国側に繰り返し強く抗議している。外交上の努力を展開し、情報の収集などに努めながら、大きな安全保障環境の変化に対応すべく、しっかりと切れ目のない対応を可能にしていくことも必要だ」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150710/k10010146271000.html
◆◆◆

中国は「東海防空識別区」と称する東支那海上空の中国ADIZ(防空識別圏)を2013年11月より設定したわけだが、中国大陸東岸に配備してある対空警戒レーダー網では、中国ADIZ全域はカバーし切れないようである。

中国の対空警戒レーダーの捜索範囲は320km程度であるといわれ()、とくに低空域を飛行するような目標を遠距離で探知するのは困難であろう。

地上レーダーでカバーし切れない空域の警戒は、AWACS(早期警戒機)や海上艦艇のレーダーに頼るほかないわけだが、東支那海の中央部に位置するガス田プラットフォームに警戒レーダーを設置すれば中国ADIZの全域を効果的に常時警戒監視することが可能となろう。

ChinaADRadars
中国の対空警戒レーダー・サイト網。
China's Air Defense Identification System: The Role of PLA Air Surveillance

ChinaRSite
グーグルアースで眺めた中国軍レーダーサイト。

ChinaRSite2
同上別の場所のレーダーサイト。なかなか近代的装備のようである。
空自のほうは、宮古島、久米島、沖永良部島そして沖縄の与座岳にレーダー・サイトがあるようだが、どこの国のも見た目は似たようなもののようだ。

CADIZRadar


大陸のレーダーサイトの捜索範囲を描いてみると赤円程度であるが、ガス田プラットフォーム数箇所に警戒レーダーを設置すれば(緑円)、沖縄を含め東支那海全域に極めて有効な警戒監視態勢を敷く事が出来よう。
プラットフォームからの、ヘリやRPV無人機の運用も十分可能であろう。

 中国は「遼寧」に続く、国産空母1号艦を大連で建造中であるが、空母を複数保有するようになれば、その母港も大連、青島地区の北海艦隊区ばかりでなく、南海艦隊区の海南島辺りにも開設するであろうが、空母のような大型艦の造修施設というのは、大連や精々上海辺りに限られており、これら造修施設は移設や新設ということは容易には出来ない。

 これから先、中国が空母勢力を増強・維持してゆくには、大連や上海正面の東支那海の安全保障を確保することが欠かせない重要な要素となってこよう。

 現代の軍用機の速力や航続力よりすれば中国大陸とは指呼の距離の沖縄に、強力な航空打撃力を持つ米空軍や、機動展開能力が高く比類ない突破衝力を有する米海兵隊が展開しているのは、中国にとって悪夢でしかあるまい。

 沖縄が日本から独立して、米軍を排除し、新生琉球国が日米軍への警戒心を中国と共有して、琉球列島に警戒レーダー等の警戒監視機能を設置し、日米艦艇や航空機の東支那海への侵入を平時から管理し、有事にはこれを阻止できる体制が望ましいだろうが、沖縄独立工作が奏功するには今しばらく時間が要るとなれば、東支那海中央部の洋上プラットフォームの軍事転用には、必然性が生じることとなるだろうか。
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