国連の拷問禁止委員会(Committee Against Torture)という国際会議の場で、日本代表の大使が自分のスピーチ中に涌いた失笑に対し、「笑うな! 何が可笑しい!」「シャラップ! シャラップ!」と、蛮声一喝したというニュースが以前あった。
この時の模様は、Youtubeに数多く上がっているので見ることが出来るが、なにやら失笑が議場に漏れたと言う程度のもので、さほど大使のスピーチの妨害になっている様には見えないのだが、本人としては失笑が余程に癪に障ったものだろうか、日本国を代表する人権人道大使である上田秀明氏という、外務省生え抜きのベテラン外交官であって大学教授という、所謂”格の高いエライ”筈の人が、突如として切れている。
(参考Youtube)
(上田人権人道担当大使:外務省HP)
(京都産業大学法学部専任教員紹介)
歳のいった”年配者”が些細なことで突然意味不明に切れるということはあるようで、時折日本のニュースなどでも目にすることはある。
かつてM社長が、夜のレイニア・クラブ(シアトルの由緒ある会員制の、所謂ジェントルメンズ・クラブ)で、吠え捲っていた”勇姿”など思い出してしまうが、自分も歳を取ってみると、なるほどフラストレーションが溜り易くなるのは解る。
靴下ひとつ履くのでも、昔は簡単に出来たものが、片足で立つとヨロケル。
物忘れも酷くなり、「あれ、オレは何をしにこの部屋へ??」。
「あッ、サングラスどこかに置き忘れてきた!高いヤツだったのにぃ~」と頭に手を当てるとそこに。
以前は簡単に出来たことが歳と共に出来難くなってくるわけだが、おのれの我が侭なところはその侭なので、所謂「短気」になり、他人のすること、自分のやること、猫のすること、全てに何かにつけては”腹が立つ”こととなる。
とくに生活習慣や文化が違い、自分の経験からでは何事も思い通りにはいかない外国に於いては、フラストレーションが溜り易く、短気には火がつき易くなるだろうか。
切れ易い性格を持つようになることと、公の場でホントに切れてしまうこととは、別のことである。
肉体も精神も、年齢と共に退歩したり進歩したりするのであるから、公の場に出ることの多い所謂”エライ人”というのは、自分の性格の弱点をコントロール出来るよう、人間修養ということが疎かには出来ないこととなるだろうか。
国連の拷問禁止委員会だが、「拷問禁止条約(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は、刑罰に関する条約)」という国際条約があるそうで、その17条により設置されているもののようである。
上田大使の「シャラップ!」の一喝が出た2013年5月22日の同委員会では、日本の刑事司法制度の問題点が取り上げられていたのだという。
上田大使の演説の前には、アフリカのモーリシャスの委員などから日本の現行刑事司法制度への直裁な問題指摘がなされていたという。
「弁護人に取調べの立会がない。そのような制度だと真実でないことを真実にして、公的記録に残るのではないか。弁護人の立会が(取調べに)干渉するというのは説得力がない…司法制度の透明性の問題。ここで誤った自白等が行われるのではないか。…有罪判決と無罪判決の比率が10対1(㊟100対1の間違い)になっている。自白に頼りすぎではないか。これは中世のものだ。中世の名残りだ。こういった制度から離れていくべきである。日本の刑事手続を国際水準に合わせる必要がある。」
(引用元:小池振一郎の弁護士日誌)
国連の拷問禁止委員会からは、日本に対して刑事司法制度や入国管理制度等についての人権上の問題点の指摘・改善勧告が嘗てなされていたところであり、日本政府は、答えるのに少々時間が要ったようであるが返答も出している。
(参考)ー外務省HP人権・人道
•条約第19条1に基づく第1回政府報告その他。
日本国としては、人権擁護の法制度は整っているので、人権の擁護は現行法で十分になされている。
刑事司法での取り調べの可視化や弁護士の立会いの導入などは、寧ろ捜査の妨害となってしまう惧れがある。
日本の刑事司法制度において、人権・人道を蔑ろにしているところがあるとの同委員会の指摘は全く当たらないものとしている。
上田大使の同委員会での発言も、当然のことだが国の姿勢と立場は同じであり、それを代弁・強調したものであろう。
「"We are one of the most advanced country(正しくはcountries) in this field. That is our proud(正しくは名詞pride。proudは形容詞), of course...."「日本はこの分野では世界でもっとも進んだ1つの国のなかの1つだ。それはもちろん私たちの"誇る"だ」と述べた。」
(Wikipedia日本より)
上田大使の単数形vs複数形の英語の言い間違いに起因して失笑が起きたのでは?との説もあるようだが、この程度の言い間違いで失笑が起きることは考え難く、やはり、「日本はこの分野(刑事司法での人権の扱い)では最先進国のひとつであり、我々の誇りとするところである。」との発言に、議場は耐え難かったものであろう。
障碍者郵便制度悪用事件での村木厚子局長への冤罪求刑は懲役1年6ヶ月。
東電OL殺人事件での被告人への冤罪求刑は無期懲役であった。
一般にはより身近?であろう痴漢犯罪に至っては、客観的かつ科学的な証拠など皆無でも、「被害者の供述は信用できる」との裁判官の主観により有罪と判決されてしまう例が多いようであり、”疑わしきは、どんどん罰してかまわない”という司法になっているようである。(痴漢冤罪Wiki)
たとえ手指に持病が有っても、「被告人が本件犯行(電車内で被害女性のパンツに手を入れたという)を行うことは不可能ではない」として強制猥褻犯とされ、懲役刑に服せられ、仮釈放後もまだ闘っている元小学校教諭などもいるようである(痴漢冤罪疑惑Youtube この再審請求を東京地裁は棄却したという(注)。
いったん裁決確定したものの再審開始には、新たな証拠の提示が必要であるという。
やっていない事の証明、”無いことの証拠を示せ”というのは普通には難しい。
普通の人は勿論、弁護士にとっても”無いものを出す”のは難しいであろう。 これが出来るのは引田天功くらいか。
40年近い教職で、教育者としての誇りも、人間としての矜持もあったろうが、電車が混んでいるのを幸い女性に猥褻行為を働いた破廉恥なバカ漢(おとこ)と公に裁定を受け、更には飽く迄自らの犯行を否定する、真の破廉恥漢、人間の屑、との烙印を正式に国家から押されて、この人は人生を終えるのだろうか。
人の証言というものは、置かれた環境により変わり得るものである。
凡そ近代社会の刑事司法にあっては、客観性のある科学的証拠に基づく事実認定ということが欠かせない筈であるが、日本の裁判官や検察官というのは一体どうしたというのであろうか。
密室の取調べでの供述の誘導、証拠の不開示や改竄、長期に亘る勾留等々、日本の刑事司法制度が抱える問題は昨今多くニュースで目にするところであるが、情報網が発達している今日、外国においても当該分野に関心を持つ関係者などは、日本のかかる実情はよく承知しているところなのであろう。
こうゆう話題には疎い私であっても日本のニュースの見出しくらいは見ているので、若し同委員会のその場に居合わせていたら、「(刑事司法での人権の扱いにおいて日本は)most advanced country」と言われたのでは、「オイオイ」、「それはないダロウ」と上田大使の顔を眺めるだろうし、コーヒーでも飲んでいたなら思わず噴きかねまい。
「刑事司法運営の中核的機能を担っている(検察庁HP)」という検察の事件捜査の不祥事については、度々報道を目にするところであり、新聞各社の社説などでも幾度も改革の必要性が叫ばれている。
検事総長自身も、日本記者クラブでの定例会見に於いて、前任者の笠間検事総長の時代から、”供述調書至上主義”と称されるのに代表されるような、検察捜査の問題点は認識しており、国民の検察への信頼を回復すべく、その組織を挙げて改革に取り組んでいるとの姿勢が強調されている。
YouTubeー小津検事総長日本記者クラブ会見ー
日本は国としては、「現行刑事司法制度に、人権・人道的な問題は存在していない」ものと国連の拷問禁止委員会の国際会議の場で世界に表明している。
どうゆうことであろうか?
国連の拷問禁止委員会への日本代表団というのは外務省ばかりでなく法務省よりも官僚が参加しているので、単に外務省の認識がどうのということでなく、国として現行刑事司法制度では人道上の問題は存在しないとの立場であろう。(注)
刑事司法の要である検事総長の記者会見での発言とは相当に異なる印象であるが、”検察改革”というのも、刑事司法制度そのものには基本的に問題はないのであるから、一部取調べの可視化の導入等”末梢の部分の微修正を行うもの”というのが本音と言うところになるだろうか。
問題を抱えた組織である検察自身により、”改革”の名に値するようなことが出来ると期待するのは、やはり無理があるのであろう。
考えてみると、日本の裁判官というのもだらしなく、検察官というのは随分とヤクザなものであるが、運悪く刑事司法の不条理に絡まれた弱い者は泣くだけ泣いて、法権力を貪る者は肥えるだけたらふく肥えて、行き着く果てまで行き、解体的出直しをする以外には、日本の刑事司法制度の改革というのは難しいことだろうか。
「シャラップ!」と一喝の上田大使であるが、先日自己都合で辞任したとのニュース。
使った言葉には問題はあっても、大使の姿勢としては本国の立場に完全に沿っている事なので、外務省としてもこの件は口頭注意しかなかったであろうから、本人辞任で一件落着。
大分騒がれてしまったので、外務省もやっと一安心というところだろうか。
拷問禁止委員会では、日本に対し”従軍慰安婦”などと言う事まで取り沙汰されてしまっていたようであるが、”Pattern of Denial”なだけの頑な姿勢で聞く耳をもたず、明確な説明もせずに、遂には「シャラップ!」と蛮声一喝というのでは、擁護の仕様もなく、日本に味方する国は誰もいなかったろうか。
会議場に味方がいないから一喝するのか?一喝するから味方がいないのか?
嘗て、1933年(昭和8年)に、満州国問題での国際連盟採択では、42:1票(1票は勿論日本である。今に例えれば北朝鮮みたいなものか)の賛否となり、日本は国際連盟を脱退、その後は”亡国の坂道”を転がり落ちていったのは歴史の示すところである。
当時は先進国による植民地支配が当たり前の時代であったから、リットン報告書というのも必ずしも満州における日本の行為を全面的に否定するものではなかったのだが、満州は日本にとって、国防上の問題と経済問題の両方を解決する方途であり、当時の日本は譲る事を知らず、新聞は「連盟よさらば!遂に協力の方途尽く」、「わが代表堂々退場す」と書いた。
例え日本が100%正しく日本に正義があるとしても、各々の国には夫々の正義があり、10カ国集まれば10の正義があるであろう。
敵ばかりを作ってしまう外交というのでは、それだけで既に敗北していよう。
☆
学問の府にある自由の立場で、福島原発事故での放射能の問題では、歯に衣着せぬ”武田節”で、毅然として正論を吐いておられた中部大学の武田邦彦教授が、刑事司法について面白いことを述べておられる。
”強い相手には尾を垂れて媚び、相手が弱いと見れば徹底的に叩いてこれを喰い物にする”と言うのは、動物的本能に根ざすものとも言え、”賢い動物たち”のごく自然な振る舞いともいえるか。
「公益」ということだが、検察官や裁判官が公益に働いても、現行制度下では、本人たちには何の利得にもならないばかりか、寧ろ軋轢を生じて自分に不利益を被る可能性が高くなるのであろう。
「お前だけ、特攻隊やれ」というのは無理と言うもの。末端の現場の裁判官や検察官にしてみれば、「こうしか出来ませんよ。」というところだろうか。
「裁判は死んでいる・・・JR西日本の無罪判決」・・・武田邦彦教授サイト
◇◇◇引用:東京新聞
上田人権大使が退任 5月、国連委で「黙れ」発言
2013年9月21日 朝刊
国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会で「シャラップ(黙れ)」と発言し、外務省幹部から注意を受けた上田秀明・人権人道担当大使(68)が二十日付で退任し、外務省参与も辞職した。人権人道担当大使の後任は佐藤地(くに)外務報道官が兼務する。外務省が二十日、発表した。大使就任から五年以上が経過したことなどを理由に上田氏が辞職を願い出たという。
関係者によると、今年五月二十二日に拷問禁止委員会の対日審査が行われ、委員から「日本の刑事司法制度は自白に頼りすぎており、中世のようだ」と指摘を受けた。上田氏が「日本の人権状況は先進的だ。中世のようではない」と反論したところ場内から笑いが起き、上田氏は「何がおかしい。黙れ」と大声を張り上げた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013092102000139.html
◇◇◇
この時の模様は、Youtubeに数多く上がっているので見ることが出来るが、なにやら失笑が議場に漏れたと言う程度のもので、さほど大使のスピーチの妨害になっている様には見えないのだが、本人としては失笑が余程に癪に障ったものだろうか、日本国を代表する人権人道大使である上田秀明氏という、外務省生え抜きのベテラン外交官であって大学教授という、所謂”格の高いエライ”筈の人が、突如として切れている。
(参考Youtube)
(上田人権人道担当大使:外務省HP)
(京都産業大学法学部専任教員紹介)
歳のいった”年配者”が些細なことで突然意味不明に切れるということはあるようで、時折日本のニュースなどでも目にすることはある。
かつてM社長が、夜のレイニア・クラブ(シアトルの由緒ある会員制の、所謂ジェントルメンズ・クラブ)で、吠え捲っていた”勇姿”など思い出してしまうが、自分も歳を取ってみると、なるほどフラストレーションが溜り易くなるのは解る。
靴下ひとつ履くのでも、昔は簡単に出来たものが、片足で立つとヨロケル。
物忘れも酷くなり、「あれ、オレは何をしにこの部屋へ??」。
「あッ、サングラスどこかに置き忘れてきた!高いヤツだったのにぃ~」と頭に手を当てるとそこに。
以前は簡単に出来たことが歳と共に出来難くなってくるわけだが、おのれの我が侭なところはその侭なので、所謂「短気」になり、他人のすること、自分のやること、猫のすること、全てに何かにつけては”腹が立つ”こととなる。
とくに生活習慣や文化が違い、自分の経験からでは何事も思い通りにはいかない外国に於いては、フラストレーションが溜り易く、短気には火がつき易くなるだろうか。
切れ易い性格を持つようになることと、公の場でホントに切れてしまうこととは、別のことである。
肉体も精神も、年齢と共に退歩したり進歩したりするのであるから、公の場に出ることの多い所謂”エライ人”というのは、自分の性格の弱点をコントロール出来るよう、人間修養ということが疎かには出来ないこととなるだろうか。
国連の拷問禁止委員会だが、「拷問禁止条約(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は、刑罰に関する条約)」という国際条約があるそうで、その17条により設置されているもののようである。
上田大使の「シャラップ!」の一喝が出た2013年5月22日の同委員会では、日本の刑事司法制度の問題点が取り上げられていたのだという。
上田大使の演説の前には、アフリカのモーリシャスの委員などから日本の現行刑事司法制度への直裁な問題指摘がなされていたという。
「弁護人に取調べの立会がない。そのような制度だと真実でないことを真実にして、公的記録に残るのではないか。弁護人の立会が(取調べに)干渉するというのは説得力がない…司法制度の透明性の問題。ここで誤った自白等が行われるのではないか。…有罪判決と無罪判決の比率が10対1(㊟100対1の間違い)になっている。自白に頼りすぎではないか。これは中世のものだ。中世の名残りだ。こういった制度から離れていくべきである。日本の刑事手続を国際水準に合わせる必要がある。」
(引用元:小池振一郎の弁護士日誌)
国連の拷問禁止委員会からは、日本に対して刑事司法制度や入国管理制度等についての人権上の問題点の指摘・改善勧告が嘗てなされていたところであり、日本政府は、答えるのに少々時間が要ったようであるが返答も出している。
(参考)ー外務省HP人権・人道
•条約第19条1に基づく第1回政府報告その他。
日本国としては、人権擁護の法制度は整っているので、人権の擁護は現行法で十分になされている。
刑事司法での取り調べの可視化や弁護士の立会いの導入などは、寧ろ捜査の妨害となってしまう惧れがある。
日本の刑事司法制度において、人権・人道を蔑ろにしているところがあるとの同委員会の指摘は全く当たらないものとしている。
上田大使の同委員会での発言も、当然のことだが国の姿勢と立場は同じであり、それを代弁・強調したものであろう。
「"We are one of the most advanced country(正しくはcountries) in this field. That is our proud(正しくは名詞pride。proudは形容詞), of course...."「日本はこの分野では世界でもっとも進んだ1つの国のなかの1つだ。それはもちろん私たちの"誇る"だ」と述べた。」
(Wikipedia日本より)
上田大使の単数形vs複数形の英語の言い間違いに起因して失笑が起きたのでは?との説もあるようだが、この程度の言い間違いで失笑が起きることは考え難く、やはり、「日本はこの分野(刑事司法での人権の扱い)では最先進国のひとつであり、我々の誇りとするところである。」との発言に、議場は耐え難かったものであろう。
障碍者郵便制度悪用事件での村木厚子局長への冤罪求刑は懲役1年6ヶ月。
東電OL殺人事件での被告人への冤罪求刑は無期懲役であった。
一般にはより身近?であろう痴漢犯罪に至っては、客観的かつ科学的な証拠など皆無でも、「被害者の供述は信用できる」との裁判官の主観により有罪と判決されてしまう例が多いようであり、”疑わしきは、どんどん罰してかまわない”という司法になっているようである。(痴漢冤罪Wiki)
たとえ手指に持病が有っても、「被告人が本件犯行(電車内で被害女性のパンツに手を入れたという)を行うことは不可能ではない」として強制猥褻犯とされ、懲役刑に服せられ、仮釈放後もまだ闘っている元小学校教諭などもいるようである(痴漢冤罪疑惑Youtube この再審請求を東京地裁は棄却したという(注)。
いったん裁決確定したものの再審開始には、新たな証拠の提示が必要であるという。
やっていない事の証明、”無いことの証拠を示せ”というのは普通には難しい。
普通の人は勿論、弁護士にとっても”無いものを出す”のは難しいであろう。 これが出来るのは引田天功くらいか。
40年近い教職で、教育者としての誇りも、人間としての矜持もあったろうが、電車が混んでいるのを幸い女性に猥褻行為を働いた破廉恥なバカ漢(おとこ)と公に裁定を受け、更には飽く迄自らの犯行を否定する、真の破廉恥漢、人間の屑、との烙印を正式に国家から押されて、この人は人生を終えるのだろうか。
人の証言というものは、置かれた環境により変わり得るものである。
凡そ近代社会の刑事司法にあっては、客観性のある科学的証拠に基づく事実認定ということが欠かせない筈であるが、日本の裁判官や検察官というのは一体どうしたというのであろうか。
密室の取調べでの供述の誘導、証拠の不開示や改竄、長期に亘る勾留等々、日本の刑事司法制度が抱える問題は昨今多くニュースで目にするところであるが、情報網が発達している今日、外国においても当該分野に関心を持つ関係者などは、日本のかかる実情はよく承知しているところなのであろう。
こうゆう話題には疎い私であっても日本のニュースの見出しくらいは見ているので、若し同委員会のその場に居合わせていたら、「(刑事司法での人権の扱いにおいて日本は)most advanced country」と言われたのでは、「オイオイ」、「それはないダロウ」と上田大使の顔を眺めるだろうし、コーヒーでも飲んでいたなら思わず噴きかねまい。
「刑事司法運営の中核的機能を担っている(検察庁HP)」という検察の事件捜査の不祥事については、度々報道を目にするところであり、新聞各社の社説などでも幾度も改革の必要性が叫ばれている。
検事総長自身も、日本記者クラブでの定例会見に於いて、前任者の笠間検事総長の時代から、”供述調書至上主義”と称されるのに代表されるような、検察捜査の問題点は認識しており、国民の検察への信頼を回復すべく、その組織を挙げて改革に取り組んでいるとの姿勢が強調されている。
YouTubeー小津検事総長日本記者クラブ会見ー
日本は国としては、「現行刑事司法制度に、人権・人道的な問題は存在していない」ものと国連の拷問禁止委員会の国際会議の場で世界に表明している。
どうゆうことであろうか?
国連の拷問禁止委員会への日本代表団というのは外務省ばかりでなく法務省よりも官僚が参加しているので、単に外務省の認識がどうのということでなく、国として現行刑事司法制度では人道上の問題は存在しないとの立場であろう。(注)
刑事司法の要である検事総長の記者会見での発言とは相当に異なる印象であるが、”検察改革”というのも、刑事司法制度そのものには基本的に問題はないのであるから、一部取調べの可視化の導入等”末梢の部分の微修正を行うもの”というのが本音と言うところになるだろうか。
問題を抱えた組織である検察自身により、”改革”の名に値するようなことが出来ると期待するのは、やはり無理があるのであろう。
考えてみると、日本の裁判官というのもだらしなく、検察官というのは随分とヤクザなものであるが、運悪く刑事司法の不条理に絡まれた弱い者は泣くだけ泣いて、法権力を貪る者は肥えるだけたらふく肥えて、行き着く果てまで行き、解体的出直しをする以外には、日本の刑事司法制度の改革というのは難しいことだろうか。
「シャラップ!」と一喝の上田大使であるが、先日自己都合で辞任したとのニュース。
使った言葉には問題はあっても、大使の姿勢としては本国の立場に完全に沿っている事なので、外務省としてもこの件は口頭注意しかなかったであろうから、本人辞任で一件落着。
大分騒がれてしまったので、外務省もやっと一安心というところだろうか。
拷問禁止委員会では、日本に対し”従軍慰安婦”などと言う事まで取り沙汰されてしまっていたようであるが、”Pattern of Denial”なだけの頑な姿勢で聞く耳をもたず、明確な説明もせずに、遂には「シャラップ!」と蛮声一喝というのでは、擁護の仕様もなく、日本に味方する国は誰もいなかったろうか。
会議場に味方がいないから一喝するのか?一喝するから味方がいないのか?
嘗て、1933年(昭和8年)に、満州国問題での国際連盟採択では、42:1票(1票は勿論日本である。今に例えれば北朝鮮みたいなものか)の賛否となり、日本は国際連盟を脱退、その後は”亡国の坂道”を転がり落ちていったのは歴史の示すところである。
当時は先進国による植民地支配が当たり前の時代であったから、リットン報告書というのも必ずしも満州における日本の行為を全面的に否定するものではなかったのだが、満州は日本にとって、国防上の問題と経済問題の両方を解決する方途であり、当時の日本は譲る事を知らず、新聞は「連盟よさらば!遂に協力の方途尽く」、「わが代表堂々退場す」と書いた。
例え日本が100%正しく日本に正義があるとしても、各々の国には夫々の正義があり、10カ国集まれば10の正義があるであろう。
敵ばかりを作ってしまう外交というのでは、それだけで既に敗北していよう。
☆
学問の府にある自由の立場で、福島原発事故での放射能の問題では、歯に衣着せぬ”武田節”で、毅然として正論を吐いておられた中部大学の武田邦彦教授が、刑事司法について面白いことを述べておられる。
”強い相手には尾を垂れて媚び、相手が弱いと見れば徹底的に叩いてこれを喰い物にする”と言うのは、動物的本能に根ざすものとも言え、”賢い動物たち”のごく自然な振る舞いともいえるか。
「公益」ということだが、検察官や裁判官が公益に働いても、現行制度下では、本人たちには何の利得にもならないばかりか、寧ろ軋轢を生じて自分に不利益を被る可能性が高くなるのであろう。
「お前だけ、特攻隊やれ」というのは無理と言うもの。末端の現場の裁判官や検察官にしてみれば、「こうしか出来ませんよ。」というところだろうか。
「裁判は死んでいる・・・JR西日本の無罪判決」・・・武田邦彦教授サイト
◇◇◇引用:東京新聞
上田人権大使が退任 5月、国連委で「黙れ」発言
2013年9月21日 朝刊
国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会で「シャラップ(黙れ)」と発言し、外務省幹部から注意を受けた上田秀明・人権人道担当大使(68)が二十日付で退任し、外務省参与も辞職した。人権人道担当大使の後任は佐藤地(くに)外務報道官が兼務する。外務省が二十日、発表した。大使就任から五年以上が経過したことなどを理由に上田氏が辞職を願い出たという。
関係者によると、今年五月二十二日に拷問禁止委員会の対日審査が行われ、委員から「日本の刑事司法制度は自白に頼りすぎており、中世のようだ」と指摘を受けた。上田氏が「日本の人権状況は先進的だ。中世のようではない」と反論したところ場内から笑いが起き、上田氏は「何がおかしい。黙れ」と大声を張り上げた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013092102000139.html
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